大坂城開城と地雷火の爆発

江戸城無血開城っていうけれど、
徳川慶喜が敵前逃亡した大坂城の場合、
無血開城っていいませんよね。

慶喜の逃亡を知った旧幕府軍は、
大坂城から退去したわけですが、
血が流れなかったかといえばそうでない。
大坂城退去の際、放火して自刃した旧幕軍兵がいたようで、
その遺体は大坂城外に葬られて現在も碑が残っています。
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まあそうして大阪城は開城されたわけですが、
新政府軍は入城せずに大坂城を取り囲んだまま。
そして大坂城下に城内見物勝手の触れが出されます。
庶民はこぞって大坂城に詰めかけました。
城内には旧幕軍が残した夜具葛篭衣装葛篭などがあり、
庶民らはわれ先にと分捕って、城外に持ち出していましたが、
新政府軍は何も咎めようとしません。
この事が評判になって、
2日目には初日以上の見物人が詰めかけました。

・・・が、城内が見物人であふれかえった頃、
突如として爆発を起こり、見物人が黒焦げとなったという。
旧幕府軍が仕掛けた地雷火に引っ掛かったのでした。
それから城内の立ち入りが禁止となりました。

市中の人々は、新政府軍が地雷火の瀬踏を、
見物勝手と称してさせたと噂しました。
追って城内から持ち帰った品々を届け出ろと沙汰があり、
届け出ない者は厳罰に処すとの事。
人々は震え上がって、
城内から持ち出したものを返したのだそうです。

そういうわけで、結構血が流れた大坂城開城ですが、
新政府軍が庶民に地雷火の瀬踏をさせたのかどうかは、
政府側の資料にありませんのでわかりません。
ですが、状況的にとても出来過ぎた話。
現場指揮官レベルでそういう策を用いた可能性はありますね。
もしそうなら酷いことをするものです。

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大阪市中央区 大坂城跡
 舞台となった幕府直轄の城。徳川慶喜が敵前逃亡して旧幕軍は大混乱。
東京都千代田区 江戸城本丸(皇居東御苑)
 徳川幕府の本拠地。無血開城によって戦火を免れました。
京都府京都市 二条城
 京都の幕府本拠地。徳川慶喜による大政奉還の諮問が行われています。

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