北九州市の若松区と戸畑区は、
洞海湾によって隔てられていますが、
洞海湾その名のとおり洞窟のように深い湾で、
現在は若戸大橋と若戸トンネルが通じてますが、
当時は小舟を使用するか、
大周りをするしかありませんでした。
「若戸大橋」。
昭和37年に開通した赤い吊り橋で、
完成当時は東洋一だったようです。
関門橋より古いんですね。
橋の周辺には古い建物も多く残っており、
波止場の雰囲気はとてもノスタルジックです。
実は橋の中央あたりに[海城]があり、
若松城と呼ばれたその海城は、
洞海湾の入口にあった中ノ島という小島に、
黒田長政によって築かれました。
城代は船手衆の三宅家義が務め、
※黒田二十四騎の1人。
福岡藩の水軍の拠点となったようですが、
一国一城令によって廃城となっています。
そうして破棄されていた若松城でしたが、
250年近く経過した幕末の文久3年。
海防の為に砲台が建設されています。
・・が、これに関する資料は殆どなく、
そして何より遺構が全くありません。
中ノ島は昭和15年に島ごと削り取られ、
現在はなにもなくなっています。
工業地帯となっていた洞海湾は、
大型貨物船の出入りが激しい為に、
入口にある小島は邪魔でしかありませんでした。
現在の洞海湾の入口付近。
中ノ島があった痕跡は全くなく、
周辺も埋め立てられてしまっています。
伊能図での洞海湾入口付近。
ちょうど現在の若戸大橋のあたりが、
かつて島が存在していた場所。
埋め立てで島が無くなったという話は、
結構聞く話なのですが、
島を海に沈めてしまったというのは、
あまり聞いた事ないですね。
※知らないだけかも?
確か邪魔かなとは思いますが・・。
この中ノ島砲台は、
下関で攘夷戦が行われた事により、
福岡藩が海防の為に建設したものでしたが、
実際に使用されることはありませんでした。
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