京都府京都市 二条城

二条城関ヶ原で勝利した徳川家康が、
上洛時の在所として築城した城。
それ以前にも二条には城が数度築かれ、
京都における重要拠点となっています。
最初は足利尊氏によって建てられた居城で、
3代足利義満まで使用されました。
2度目は13代足利義輝が築城した居城で、
3度目は織田信長足利義昭の建てた城。
そして4度目が家康の建てた現在の二条城。
他にも豊臣秀吉が建てた「二条第」があり、
聚楽第の完成まで使われています。

家康は征夷大将軍就任の祝賀の儀を行い、
以後3代徳川家光まで踏襲。
しかし以降の将軍就任は江戸で行われ、
将軍の入城は幕末まで途絶えています。


東南隅櫓」。
二条城の東南隅に建つ二重二階櫓
本来の二条城の四隅には、
隅櫓が建てられていたようですが、
火災によって焼失してしまい、
現在はこの東南隅櫓と、
南西側の西南隅櫓のみとなっています。


東大手門」。
いよいよ二条城へ入城。
入城料金は1,000円です。
この東大手門は二条城の正門で、
築城時は現在同様の櫓門でしたが、
後水尾天皇行幸の際に建て替えられ、
寛文2年に戻されました。


唐門」。
順路どおり進むと現れる豪華絢爛な門。
松竹梅に鶴」「唐獅子」など、
極彩色の彫刻が飾られています。


二之丸御殿」。
御殿としては唯一の国宝で、
大政奉還が表明された大広間等、
入って見学する事ができます。
残念ながら撮影は禁止。


二之丸庭園(八陣の庭)」。
造園の名手として知られる小堀遠州の作。
桃山様式の池泉回遊式庭園で、
当たり前ですが手入れが行き届いており、
たしかに美しい庭です。


本丸櫓門」。
二之丸正門の唐門に比べると簡素な門。
これには理由があるようで、
後水尾天皇が二条城へ行幸した際、
二之丸御殿から本丸御殿への移動で、
天皇が地上に降りなくて良い様に、
二階建ての廊下橋が建てられたという。
この門はその名残りなのだとのこと。
なるほど。


本丸御殿」。
現在改修中。元々の本丸御殿は、
二之丸御殿同様の規模をだったそうですが、
天明の大火で焼失してしまい、
長らく空地となっています。
その後の幕末に将軍の住居が建設され、
維新後に取り壊されていました。
後に御所内にあった桂宮家邸を移築、
これが現在の本丸御殿と呼ばれるもので、
実際には二条城と関係は無し。
ですが結構重要な建物のようで、
嘉永7年の火災て内裏が焼失した為、
安政2年まで仮皇居となりましたし、
和宮も桂宮邸から江戸に降嫁しています。


天守台」。
二条城にもかつては天守がありました。
創建時に大和郡山城天守が移築されますが、
その時の天守はこの位置ではなく、
二之丸の北西隅の位置とのこと。
その天守は3代家光の代に淀城に移築され、
代わりに伏見城の五重天守が移築されます。
しかし寛延3年に落雷によって焼失し、
以後は再建されていません。


順路に沿って本丸を出て西側へ。
天守台を外から望む。

西橋を渡って北方向に歩く。

西北土蔵」。
現存する二条城の3棟の土蔵のひとつ。
城内に土蔵が現存するのは二条城だけ。

土蔵を過ぎて東側へ進む。

北中仕切門」。
南側の「南中仕切門」と対になっています。
二条城はシンメトリーも特徴。


清流園」。
京都の豪商角倉家の屋敷跡から建築部材、
庭石、樹木を譲り受け、
昭和40年に作庭されたもの。
世界遺産の中にあるだけに、
手入れが行き届いています。

そのまま順路に沿って進み、
東大手門より二条城から退出。
そこから北に進み北大手門を見に行きます。

北大手門」。
道の向かい側に京都所司代屋敷があった為、
行き来の為の通用門たったと推測されます。
築城当時からこの場所にあったようですが、
この門が築城時のものなのか、
行幸の際に建て替えられたものかは、
わかっていないという。

二条城は廃城こそされませんでしたが、
幕末まで使われず半放置状態でした。
そんな中で将軍徳川家茂が上洛し、
荒れ果てていた二条城が改修。
家茂は文久3年と慶応元年に入城し、
長州征伐の際に大坂城に移りました。
そして将軍となった徳川慶喜が、
小浜藩邸から二条城の本丸に宿所を移し、
慶応3年10月14日に大政奉還となり、
徳川幕府の幕が降ろされています。

そして王政復古の大号令小御所会議で、
将軍徳川慶喜の官職辞職及び、
旧幕府領の削封が決定され、
二条城の慶喜に伝えられます。
これに幕臣会津藩桑名藩が激昂。
一触即発の事態へと発展。
慶喜は事態を悪化させる事を恐れ、
二条城を引いて大坂城に退き、
永井尚志水戸藩兵を残します。

永井はすぐに大坂に召喚され、
梅沢孫太郎が留守居役となりますが、
鳥羽伏見の戦いが勃発して旧幕府軍は敗北。
二条城は新政府に引き渡されています。

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