神奈川県横浜市 明治憲法起草之地

明治憲法の正式な名称は大日本帝國憲法
明治22年2月11日に公布され、
明治23年11月29日に施行。
戦争に敗れ日本国憲法に改正されるまで、
日本の根本規範とされていました。

その明治憲法草案の構想が練られた場所が、
横浜市の金沢にあります。

明治憲法起草之處」碑。
明治20年に伊藤博文伊東巳代治
金子堅太郎井上毅東屋旅館に集まり、
草案の構想が練られました。
金子と伊東が東屋旅館に宿泊し、
伊藤は夏島の別荘から、
井上は野島旅館から東屋旅館に赴いて、
起草作業が行われています。
このことから起草の地であるとして、
昭和10年に旅館裏庭に建てられましたが、
後に東屋旅館が廃業した為、
この場所に移されました。


明治憲法起草の地」。
実際に東屋旅館があったのは、
碑より100m程度西に進んだあたり。
第一生命のビルの建っている場所。
この草案作成の最中に、
伊東の部屋に空き巣が侵入し、
草案を入れた行李が盗まれてしまいます。
しかし空き巣は書類に興味は無く、
金品のみが盗まれ書類は捨てられており、
翌日に書類は無事に発見。
この事から防犯上よくないと、
伊藤の別荘に移って作業が再開され、
草案が完成しています。

空き巣も書類を新聞社にでも持っていけは、
相当の大金が貰えたかもしれませんね。

■関連記事■
神奈川県横浜市 料亭「富貴楼」跡
 明治の元勲が集まった料亭跡。
山口県光市 伊藤博文記念公園
 光市にある伊藤博文の生家。
京都府京都市 伏見桃山陵
 伏見にある明治天皇の御陵。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です