大野城、土井家墓所を訪問した後、
降りしきる雨の中を大野市の史跡巡り。
まずは幕末には関係ありませんが、
せっかくなので朝倉義景の墓所に参ります。
「朝倉公園」。
朝倉義景の墓所の周辺は、
朝倉公園として整備されており、
とても手入れが行き届いているようです。
残念なことに雨はかなり強くなりました。
「朝倉義景墓」。
中央の五輪塔が朝倉義景の墓で、
周りには側近鳥居景近と高橋景業や、
義景の母高徳院や正室祥順院、
息子愛王丸の墓が並んでいます。
義景は言わずと知れた越前の戦国大名で、
一条谷を拠点に越前で勢力を伸ばし、
天下布武を目指す織田信長と対立。
浅井長政と共に織田徳川連合軍と戦いますが、
姉川の戦いで大敗しました。
その後、信長の追撃を受けて一条谷を失い、
大野の賢松寺(廃寺)に逃れますが、
部下に裏切られて賢松寺を包囲された為、
進退尽きて自刃しました。
朝倉公園を出て南に向かい篠座神社へ。
「篠座神社」。
大己貴大神(大国主神)を祀る神社で、
創建は奈良時代とのこと。
大野藩兵の招魂社があるのですが、
雨のせいか見落としました。
右側に小さな社があったようです。
「戦死之碑」。
境内にある箱館戦争戦死者の慰霊碑。
大野藩は戊辰戦争には出兵していませんが、
箱館戦争では11名が戦死しています。
「吉田拙蔵記念之碑」。
大野藩士吉田拙蔵の記念碑。
吉田は北蝦夷開拓を主導した一人で、
海軍操練所で操舵術を学んでおり、
藩船大野丸の船長を務め、
物資や人員の輸送を行っています。
後に大野藩少参事となり、
廃藩後は庶民教育に尽しました。
「横田先生碑」。
福井藩儒横田莠の顕彰碑。
境内裏手の北隅にあります。
江戸に出て昌平坂学問所に学び、
後に藩校明倫館教授を務めており、
廃藩後は福井師範教諭、
明倫中学校長を務めました。
今回、短時間で大野市を観光しましたが、
※しかも雨・・・
まだ巡れてない場所も多くあり、
いつか家族と来たいなと思いました。
■関連記事■
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・福井県大野市 善導寺/大野藩主土井家墓所
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