「引接寺」。
小早川隆景の菩提寺であり、
朝鮮通信使の宿泊所として使われ、
日清戦争後の日清講和会議では
李鴻章らの宿所になっています。
幕末には長府報国隊の屯所になっており、
長府毛利家の菩提寺と同等の寺格でした。
残念ながら当時の本堂は、
空襲で喪失してしまっていますが、… 続きを読む
下関市中之町 引接寺/伊藤家 入江家墓所
コメントを残す
「引接寺」。
小早川隆景の菩提寺であり、
朝鮮通信使の宿泊所として使われ、
日清戦争後の日清講和会議では
李鴻章らの宿所になっています。
幕末には長府報国隊の屯所になっており、
長府毛利家の菩提寺と同等の寺格でした。
残念ながら当時の本堂は、
空襲で喪失してしまっていますが、… 続きを読む
高杉晋作ウォーク(唐戸周辺コース)のつづき
「教法寺」。
文久3年に奇兵隊は前田砲台、
撰鋒隊は壇ノ浦砲台を担当しています。
長州藩世子毛利元徳が下関に来た際、
奇兵隊、撰鋒隊の両砲台を視察。
最初に奇兵隊の前田砲台を視察しますが、
視察の時間がなくなってしまい、
撰鋒隊の視察はなくなってしまいました。
撰鋒隊士らは宮城彦輔… 続きを読む
高杉晋作の支援者として真っ先に浮かぶのは、
廻船問屋「小倉屋」の白石正一郎ですが、
他にも酢醸造業「奈良屋」入江和作などが、
晋作に大きな支援をしていました。
入江和作といえば松陰門下入江九一の弟である、
後の内務大臣野村靖の旧名と同じですが、
同姓同名なだけで全く関係ありません。… 続きを読む