弘前城に再び訪問しました。
前回の訪れたのは約1年前の初春頃。
※記事はこちら。
雪が多い以外は変わった様子ありません。
「弘前城天守」。
本丸石垣が外側に膨らむはらみが生じた為、
崩壊の危険があるということで、
石垣の修理が行われており、
それに伴い天守が曳屋されています。
現存するこの三重三層の天守は2代目で、
最初の天守は五重六層であったという。
江戸時代初期の寛永4年に落雷で出火し、
内部の火薬庫に引火して大爆発を起こして、
御殿を含む建物全てが焼失しました。
天守を建てたり再建させたりする事を、
諸藩が遠慮しだしていた頃で、
弘前藩も巨大な天守の再建を見合わせ、
本丸辰巳櫓の改修という名目で、
少し小さな三重三層の櫓を再建。
これが現在の天守です。
修復中の本丸石垣。
1年前とそれほど変わっていませんでした。
元の位置に戻るのは2021年予定との事。
天守は石垣上にあって映えるものですので、
是非とも早急かつ丁寧な修復を望みます。
弘前城公園の南側の区画へ。
このあたりに弘前藩校稽古館がありました。
「旧東奥義塾外人教師館」。
東奥義塾は藩校稽古館を母体としており、
稽古館は廃藩で弘前漢英学校となりますが、
学校制度改革で廃止されてしまいます。
そこで旧藩主津軽承昭の資金援助を受け、
元藩士の菊池九郎が創立者となり、
かつての稽古館をそのままに引き継がれ、
再び弘前漢英学校が開校。
慶應義塾に倣い東奥義塾と命名されました。
この建物は外人教師専用の住居として、
明治33年に建てられたもの。
館内には家具や調度品などが置かれ、
お雇い外国人の生活を再現しています。
「ミニチュア建造物」。
明治~大正期に市内に実存した建造物が、
1/10の模型で展示されています。
旧弘前市役所や弘前公会堂等、
公共建造物や商家等、
14棟が再現されています。
防雪対策の建屋が設置されていました。
巨人になった様でなかなか楽しい。
弘前城も作ってくれたらいいのに・・。
「旧弘前市立図書館」。
日露戦勝記念に建てられた市立図書館で、
篤志家らの出資で建てられていたもので、
後に市に寄付されたもの。
ルネサンス様式の木造モルタル3階建。
昭和6年まで利用された後に払い下げられ、
移築してアパートや喫茶店に使用され、
平成元年に弘前市が再取得し、
現在地に戻されました。
市立郷土文学館の施設として、
一般公開されています。
「津軽藩校稽古館跡地」、
「東奧義塾跡地」「追手門広場」碑。
弘前市立弘前図書館横にあります。
稽古館の名称は彦根藩、島原藩、秋月藩等、
多くの藩校名で使用されています。
弘前の稽古館は古学を採用して朱子学否定。
※後に朱子学も教授。
幕末期には蘭学や英学も教授しました。
藩士子弟の教育のみならず、
天文暦学の普及や、
印刷出版事業も展開しています。
稽古館は私塾東奥義塾に移行し、
財政難から一時市立、県立に変わって、
大正2年に廃校となりますが、
米国メソジスト教会などによって再興され、
私立東奥義塾高等学校に受け継がれました。
弘前へは2度訪問しましたが、
2度共とても良い天気。
相性が良いと勝手に思い込んでいます。
何度か青森に行って気が付いたのですが、
コンビニの店員さんが皆愛想が良い。
たまたまかもしれませんが、
僕の中で青森県民は好印象です。
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