つづき。
①/②/③
二之丸史跡庭園からロープウェイ乗場へ。
「加藤嘉明公」像。
ロープウェイ乗場脇の加藤嘉明の銅像。
嘉明は賤ヶ岳七本槍のひとりとして、
加藤清正や福島正則に次ぐ出世を遂げ、
徳川の世となっても幕府の信頼厚く、
最終的に43万石を加増されました。
しかし次代加藤明成が会津騒動を起こし、
領地を返上して加藤家は改易。
幕府は嘉明の忠節を考慮して、
孫加藤明友に加藤家を継がせて再興させ、
加藤家は水口藩として続いています。
ロープウェイで本丸跡へ。
子供には面白味の無い史跡訪問ですので、
こういうのがあると喜んでくれます。
ロープウェイで山頂まで登り、
そこからは歩きとなりますが、
太鼓櫓やその先の天守が見えると、
次第にテンションも上がってきます。
「戸無門」。
太鼓櫓の下をUターンして戸無門へ。
読んで字のごとく戸の無い門で、
創建当初より戸が無かったという。
「筒井門」と「隠門」。
筒井門は戸無門を過ぎると現れる櫓門で、
右側には隠門という小さな門があります。
これは敵が筒井門を攻めた際、
背後より急襲できるようになっていました。
「太鼓門」。
本丸への最後の櫓門。
太鼓櫓と巽櫓を配した強固な門で、
本丸への最終防衛線となっています。
「本丸跡」。
太鼓門を抜けて本丸跡へ。
天守のある本壇前は広場となっており、
元々は2つの峰だったものを、
埋め立てて繋いて本丸としたようです。
「太鼓櫓」。
南西側の櫓。
松山大空襲の際に焼失してしまい、
昭和48年に再建されたもの。
「巽櫓」。
南東側の櫓。
こちらも松山大空襲の際に焼失しており、
太鼓櫓、太鼓門と共に再建されました。
いよいよ天守へ。
「本壇(天守)」。
本壇と呼ばれる天守曲輪に連立する櫓群。
現存天守の中で最も新しく、
現在のものは安政元年に再建されたもの。
とはいえ大天守以外は放火で焼失しており、
昭和43年に再建されています。
この松山城を焼いた放火事件は、
西日本13府県連続放火事件と呼ばれ、
犯人は4年間で45件の放火を犯しており、
寺院や学校等の建物に放火してまわり、
宇和島で逮捕されて死刑となったとのこと。
娑婆と刑務所を行き来していたという。
大天守だけでも残った事は幸いでしたね。
つづく。
①/②/③
■関連記事■
・愛媛県松山市 大林寺/松山藩松平家墓所
伊予松山藩久松松平家の合葬墓。
・愛媛県松山市 常信寺/松山藩松平家墓所
伊予松山藩初代松平定行の霊廟。
・岡山県高梁市 備中松山城①/②
備中国にあった同名の城。現存天守。
・三重県桑名市 桑名城跡
同族の桑名藩久松松平家の居城跡。