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伊予松山城は松山市中心部の勝山にある平山城で、
賤ヶ岳七本槍のひとり加藤嘉明が築城した城。
嘉明は松山城の完成を待たずに会津へ転封となり、
代わって蒲生忠知が松山城に入りますが、
忠知は継嗣なく病死して蒲生家は断絶。
その後、久松松平家が15万石で入封し、
廃藩置県まで久松松平家が治めています。
「城山公園」。
三之丸跡は城山公園堀之内地区として整備されており、
ふれあい広場、やすらぎ広場の二つの広場や、
市民会館、美術館、図書館などが建てられています。
「城濠」。
松山城の堀は三之丸を囲む一重の城濠のみ。
その分堀幅は広いようです。
「三之丸跡」。
三之丸には藩主の御殿の他、
上級藩士の屋敷が立ち並んでいたようです。
「三之丸御殿跡」。
藩主が居住した三之丸御殿の跡。
元々は二之丸御殿に藩主は居住していましたが、
貞享4年(1687)より三之丸御殿に移っています。
跡地は開発中のようで他に比べて鬱蒼としていました。
「二之丸御殿跡」。
三之丸跡から見る二之丸御殿跡。
山麓に10mの高石垣が積まれており、
この上に表御殿、奥御殿が建てられていました。
三之丸御殿が建てられた後は、
世子の屋敷として使われたようです。
「二之丸多聞櫓」。
二之丸史跡庭園の入口となっており、
当時は通用口でもあったようです。
内部は通路と池で御殿の間取りを再現しており、
当時の様子が想像できるようになっています。
「大井戸遺構」。
大井戸というより掘のような巨大なもので、
有事の際の貯水槽の役割があったとされます。
庭園を出て御殿の外側より黒門口へ。
「黒門口登城道」。
本丸への正規の登城口。
もちろん真夏に子供を連れて登るのは無謀です。
松山城本丸跡へは別の場所よりロープウェイで。
子供達をロープウェイに乗せてやりたいし、
何より歩いての登城は体力的に不可能です。
これより東側のロープウェイ乗場へ。
つづく。
①/②/③
■関連記事■
・愛媛県松山市 大林寺(久松松平家墓所)
伊予松山藩久松松平家の合葬墓。
・岡山県高梁市 備中松山城①/②
備中国にあった同名の城。同じく現存天守が残っています。
・三重県桑名市 桑名城跡
同族の桑名藩久松松平家の居城跡。