愛媛県松山市 伊予松山城②

つづき。
/②/

二之丸史跡庭園からロープウェイ乗場へ。

加藤嘉明公」像。
ロープウェイ乗場脇の加藤嘉明の銅像。
嘉明は賤ヶ岳七本槍のひとりとして、
加藤清正福島正則に次ぐ出世を遂げ、
徳川の世となっても幕府の信頼厚く、
最終的に43万石を加増されました。
しかし次代加藤明成会津騒動を起こし、
領地を返上して加藤家は改易。
幕府は嘉明の忠節を考慮して、
加藤明友に加藤家を継がせて再興させ、
加藤家は水口藩として続いています。


ロープウェイで本丸跡へ。
子供には面白味の無い史跡訪問ですので、
こういうのがあると喜んでくれます。


ロープウェイで山頂まで登り、
そこからは歩きとなりますが、
太鼓櫓やその先の天守が見えると、
次第にテンションも上がってきます。


戸無門」。
太鼓櫓の下をUターンして戸無門へ。
読んで字のごとく戸の無い門で、
創建当初より戸が無かったという。


筒井門」と「隠門」。
筒井門は戸無門を過ぎると現れる櫓門で、
右側には隠門という小さな門があります。
これは敵が筒井門を攻めた際、
背後より急襲できるようになっていました。


太鼓門」。
本丸への最後の櫓門。
太鼓櫓と巽櫓を配した強固な門で、
本丸への最終防衛線となっています。


本丸跡」。
太鼓門を抜けて本丸跡へ。
天守のある本壇前は広場となっており、
元々は2つの峰だったものを、
埋め立てて繋いて本丸としたようです。


太鼓櫓」。
南西側の櫓。
松山大空襲の際に焼失してしまい、
昭和48年に再建されたもの。


巽櫓」。
南東側の櫓。
こちらも松山大空襲の際に焼失しており、
太鼓櫓、太鼓門と共に再建されました。

いよいよ天守へ。

本壇(天守)」。
本壇と呼ばれる天守曲輪に連立する櫓群。
現存天守の中で最も新しく、
現在のものは安政元年に再建されたもの。
とはいえ大天守以外は放火で焼失しており、
昭和43年に再建されています。

この松山城を焼いた放火事件は、
西日本13府県連続放火事件と呼ばれ、
犯人は4年間で45件の放火を犯しており、
寺院や学校等の建物に放火してまわり、
宇和島で逮捕されて死刑となったとのこと。
娑婆刑務所を行き来していたという。
大天守だけでも残った事は幸いでしたね。

つづく。
/②/

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