島原のキリシタン大名有馬晴信は、
関ケ原の戦いでは東軍に属しており、
4万石の所領を安堵されました。
慶長13年(1608)貿易していたマカオにて、
家臣がポルトガル軍に殺害された為、
晴信は徳川家康より報復の許可を得て、
長崎でポルトガル船を沈没させます。
晴信はこの功績によって旧領回復を望み、
本多正純の家臣岡本大八に周旋を依頼し、
岡本に多額の金品を贈りました。
しかし待てども幕府から沙汰が無かった為、
晴信が正純に詰問すると、
岡本が金品を騙し取った事が発覚。
拷問の末に岡本は犯行を自供しますが、
晴信が長崎奉行の殺害を計画してると訴え、
晴信もこれを認めた為に改易。
※長崎奉行長谷川藤広と貿易で揉めていた。
甲斐国に流刑された晴信は切腹を命じられ、
キリシタンで自害を禁じられた晴信は、
家臣に首を斬らせたという。
※この事件がキリシタン弾圧要因のひとつ。
島原天草の乱の遠縁にもなっています。
晴信の子有馬直純は家康の側近として仕え、
家康の曾孫国姫を正室に迎えていた為、
父の連座を免れて遺領を継ぎましたが、
キリシタンの多い島原の所領を好まず、
幕府に転封を願い出て延岡藩に加増転封。
次代有馬清純が糸魚川藩に移されますが、
丸岡藩本多家が内紛で改易された事により、
代わって丸岡藩に入封しています。
「高岳寺」。
高岳寺は家康の曾孫国姫を正室とし、
延岡への領地替えを許可された事など、
恩義に報いる為に東照大権現を祀り、
並びに有馬家菩提寺として創建された寺院。
丸岡に転封するに伴い移転しました。
こじんまりとした境内や本堂ですが、
これは建物が福井地震で倒壊してしまい、
後に整備された為です。
※福井地震の震源は丸岡町。
「有馬家墓所」。
延岡藩時代を含む歴代藩主の墓が、
一列に並んています。
福井地震でバラバラとなってしまい、
綺麗に集めて一列に並べたという。
「松園院殿光山宗和大居士(左:延初)」、
「嘉祥院殿徹洞宗通大居士(中:延2)」、
「體顕院殿眞嚴宗修大居士(右:丸3)」。
左から延岡藩初代有馬直純、2代有馬康純、
丸岡藩3代有馬孝純の墓。
初代直純は父と同じくキリシタンでしたが、
15歳から家康に近習しており、
国姫を娶る為にキリシタンの妻と離縁し、
後に領内キリシタン弾圧をしたりと、
熱心な信者ではなかったと思われます。
延岡2代康純は家康の玄孫にあたる為、
寵愛されて[康]の諱を賜っています。
延岡の地名は康純が命名しました。
「華岳院殿清山宗純大居士(右側)」、
「栄寿院殿長覚秋岳祐円大姉(中央)」。
丸岡藩初代清純、直純正室国姫の墓。
延岡2代有馬清純の代に農民が隣国に逃亡。
首謀者が幕府に召喚される一大事となり、
この責で糸魚川藩転封の処分を受けます。
しかし丸岡藩本多家が改易されたことから、
すぐに丸岡藩に移る事となりました。
晴信の奉行殺害計画や領民離散など、
改易処分もおかしくありませんし、
無城(糸魚川)から城持(丸岡)への復帰も、
いくらなんでも早すぎます。
これらの危機を救ったのが国姫の存在で、
国姫が家康の血を残したおかげでした。
国姫は直純との間に二男三女を儲けており、
夫婦仲も良かったであろうと思われます。
「常泰院殿性山宗住大居士(左)」、
「勝達院殿天岳宗眞大居士(中)」、
「無暦庵殿玄空譽純大居士(右)」。
丸岡藩2代有馬一準、4代有馬允純、
5代有馬誉純の墓。
丸岡2代一準の代に譜代大名となっており、
財政難に苦しんではいますが、
5代誉純まで安定的に嫡男が跡を継ぎます。
誉純は約50年間の長期間藩主を務め、
奏者番、寺社奉行を経て若年寄に就任。
大庄屋制度の廃止などの税制改革や、
藩校平章館設立等の藩政改革を行いました。
「勇譲院殿咸説宗教大居士(右)」、
「欽崇院殿建中宗裕大居士(左)」。
丸岡藩6代有馬徳純、7代有馬温純の墓。
丸岡6代徳純は高田藩榊原家からの婿養子。
7代温純も5代誉純の子戸田純祐の長男。
戸田純祐は誉純の庶長子で、
母の身分が低かった為に家督は継げず、
旗本戸田家の養子となっていました。
誉純は薩摩藩から婿養子に迎えますが、
後に廃嫡して榊原家から徳純を迎えます。
6代徳純にも庶長子はいましたが、
家康の血を引く有馬家を系譜を重んじ、
純祐の子温純を7代としています。
この7代温純の治世で幕末に入り、
海防の為に海岸線に砲台を設置しましたが、
安政2年に死去しています。
8代は山崎藩本多家から迎えた有馬道純。
道純は3代孝純の血を引いており、
寺社奉行、奏者番、若年寄などを歴任し、
文久3年には老中に昇進しています。
鳥羽伏見の戦い後に新政府に恭順し、
北陸道鎮撫使に藩兵160名を派遣。
廃藩後は東京へ移住しており、
以後の有馬家は神葬に改められ、
高岳寺に道純以降の墓はありません。
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