足羽山は福井平野の中心にある小山で、
桜やアジサイの名所でもあり、
足羽山招魂社も鎮座しています。
「足羽山招魂社」。
禁門の変で戦死した福井藩士7名と、
戊辰戦争の戦死者12名を招魂する為、
明治3年にこの地に墓碑が建てられ、
旧福井藩軍務寮が守護していましたが、
明治6年に旧藩主松平春嶽らが、
社殿を造営して招魂社としました。
石段途中には何故かお洒落なカフェが・・。
「社殿」。
初代の社殿は空襲のため焼失しており、
現在の社殿は昭和38年に再建されたもの。
幕末期以降の殉難者も合祀され、
現在の祭神の数は8306柱という。
「西南之役殉難碑」。
西南戦争に出征した旧福井藩士戦死者の碑。
越前、若狭の戦死者約150人の供養の為、
明治16年の建立されたもの。
「岡島君佐三郎碑」。
西南戦争に従軍した岡島佐三郎の供養碑。
西南戦争に出征し高瀬の戦いで負傷して、
運ばれた病院で戦病死しています。
彼の2人の兄によって建立されたもの。
「死事十二人碑」。
社殿脇の戊辰戦争戦死者12名の招魂碑。
福井藩は北越戦争に大軍を出兵させており、
12名の戦死者を出しています。
足羽山招魂社へ登る途中の道の斜面に、
幾つかの碑があるのを見つけたので、
参拝の後に行ってみました。
「大窪先生之碑」。
数学者大久保盤山の碑。
養父斎藤良相、江戸の細井寧雄、吉田伊織、
長谷川善左衛門等に師事し関流和算を極め、
福井帰郷後に家塾を開いていましたが、
藩校明道館の開校で算科局教授に就任。
子弟達の教育に熱心に取り組みました。
この碑は盤山の生前に建立されたもの。
「伴閑山碑」。
福井藩士伴閑山の顕彰碑。
藩儒高野真斎や吉田東篁に学び、
作事方改役、司計吏、中監察などを務め、
福井に招かれた横井小楠にも師事。
維新後は家塾で子弟を教育しました。
この碑は死の翌年に門弟らが建立したもの。
「東篁先生碑」。
福井藩の儒学者吉田東篁の顕彰碑。
藩儒前田雲洞や清田丹蔵に学んだ後、
鈴木撫泉に私淑して、
浅見絧斎に遺化を受けました。
福井で私塾を開いて多くの人材を輩出し、
門下には鈴木主税や橋本佐内、
由利公正らがいます。
明治8年、死去。
足羽山には上記以外にも碑があるようで、
まだ幕末関係のものもあるかもしれません。
今度はよくリサーチして訪問してみます。
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