山中宿は雄ノ山峠北麓の設けられて宿場町。
紀州側からは峠を越えた最初の宿場で、
泉州側からは峠前の最後の宿場でした。
大坂ー和歌山間の往来の他にも、
熊野詣の紀伊路の一部でもあった為、
山中ながら大変賑わっていたという。
「山中宿跡」。
JR阪和線山中挟駅を出て北に歩くとあります。
初期の紀州藩の参勤交代ルートは、
大和路を松坂に向かう経路でしたが、
3代徳川綱教の頃に紀州街道に切り替えられ、
山中宿は好況に沸く事となります。
「道祖神(塞之神)」。
山中宿南の入口に鎮座する道祖神。
紀州藩は毎年12月20日に、
罪人や疫病人を境橋より追放していました。
そしてこれらの追放された人々が、
山中宿にやって来るのですが、
宿場では当日は戸を閉め切って、
悪疫が退散するのを待ったという。
何とも酷い話ですが彼らを入れてしまい、
宿場に犯罪や病気を蔓延させられない。
仕方なく罪人や病人は宿場を通り過ぎ、
山を下りてゆくわけです。
山中宿では犯罪や疫病が少なかったとされ、
これはこの道祖神のおかげとされました。
いやいや戸を閉め切ったからだろ!と、
突っ込みを入れたくなりますが、
コロナ禍が終息した原因が、
なんだかんだ言ってワクチンの接種と、
マスク、手洗いの徹底だった事を考えると、
やるべき事をしっかりやったうえで、
神頼みするのが正解なんだろうと思います。
「山中宿の街並み」。
それ程大きくない宿場ですが、
良い感じに古い建物も残っているし、
石畳も整備されて風情があります。
「山中宿本陣跡」。
山中宿本陣に指定された土生喜左衛門邸跡。
参勤交代では宿泊は行われずに、
一行は休憩および昼食を取っていたようで、
宿泊は信達宿を越えた貝塚宿だったという。
それでも紀州藩主の通過時には、
近郷より3000人もの人々が集まり、
炊飯、運搬、補給、清掃等にあたりました。
■紀州街道の宿場町
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・大阪府阪南市 境橋/日本最後の仇討ち場
泉州紀州国境の橋。仇討ちがありました。
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紀州街道の終点。和歌山城の玄関口。
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紀州街道の宿場町。