若松宿は洞海湾の入口に形成された宿場町。
戸畑からは渡し船が出ており、
現在も若松区、戸畑区を結んでいます。
江戸初期から中期までの若松宿は、
唐津藩、福岡藩の参勤交代に使われ、
幕府の諸国巡検使も利用していました。
しかし江戸中期の大火で大きな被害を受け、
御茶屋や代官所、商家の多くが消失。
参勤交代は木屋瀬宿経由がメインとなり、
福岡藩の代官所も黒崎代官が兼務した為、
江戸中期から後期は宿場の役割は縮小し、
賑わいはなくなっていたという。
その後、明治期に石炭の積出港として復活。
石炭景気に沸く港湾都市となりました。
現在もその当時のレンガ造りの建物が残り、
ノスタルジックは雰囲気の町となっています。
若松区本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが若松宿跡。
洞海湾は大渡川とも呼ばれていました。
「洲口番所」跡碑。
福岡藩の設置した番所跡。
洞海湾に出入りする船や人を監視し、
取り締まりを行っていました。
街道は番所跡から西へ進み、
国道495号線を越えてアーケード商店街へ。
本陣となっていた御茶屋は、
街道から逸れた北側にありました。
「金光教若松教会(若松御茶屋跡)」。
若松御茶屋のあった場所は、
現在金光教若松教会になっています。
雰囲気ある建物ではありますが、
御茶屋は江戸中期に焼失。
建物の払い下げとかではなく、
跡地にたまたま教会が建設された模様。
街道筋に戻り西へ。
「エスト本町」。
街道筋は全体アーケードのエスト本町、
両側アーケードのウエル本町へ続きますが、
当時の面影はやはり皆無です。
まあこの辺りにノスタルジックは求めても、
江戸時代の香りを求めるのは、
かなり無理があるとは思いますね。
■唐津街道の宿場町
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長崎街道の最初の宿場。
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