福岡宿は奥州街道の97番目の宿場町。
元々は二戸と呼ばれていましたが、
九戸政実の乱後に福岡と改称されました。
九戸城跡周辺。緑の線が奥州街道で、
ピンク線が九戸村に続く白鳥道。
青でぼかした辺りが宿場だった場所。
南から浪打峠を越えて北上し、
久府坂を下ったT字路から、
福岡宿に入ります。
「福岡宿跡」。
倉や商家がちらほら残る街並み。
老舗の旅館なんてのもあったりして、
宿場の雰囲気が感じられます。
「田中舘愛椿所縁の家」。
物理学者田中舘愛椿が住んだ家。
地球物理学や航空学などで業績を残し、
日本の物理学の草分けとなった人物です。
田中舘家は盛岡藩の兵法師範を務め、
曾祖母は相馬大作の実姉という。
東京大空襲で故郷の福岡町に疎開して、
向かいの小保内家に身を寄せており、
後に地元の人々から寄贈されたようです。
後に東京に戻ってからも、
夏には避暑に訪れていたとのこと。
街道から離れて九戸城へ。
「九戸城跡」。
二戸に九戸城があるのか不思議でしたが、
九戸氏が九戸城を築城して居城とした為、
九戸城と呼ばれていたとの事。
九戸実親は南部信直との家督争いに敗れ、
兄九戸政実と共に挙兵しますが、
豊臣秀吉によって諸侯の大軍が組織され、
追い詰められて九戸城が包囲されます。
開城すれば助命するという勧告を受け、
政実は降伏して開城しますが、
助命の約束は反故にされて政実は処刑され、
城内の実親以下全ての者が惨殺されました。
この後に蒲生氏郷が九戸城を改修し、
信直に与えられて居城としますが、
その際に城名を福岡城と改称しており、
城下の二戸も福岡と改められています。
街道筋に戻って更に北上。
馬淵川の支流白鳥川に架かる岩谷橋は、
当然ですが江戸時代にはありません。
往時はこの谷間に続く馬助坂を下り、
川を徒歩で渡っていたようです。
「追分石」。
岩谷橋の北詰にある追分石。
元々は白鳥川沿いにあったようで、
白鳥川沿いの白鳥道を進むと九戸村に至り、
谷を上る坂が奥州街道です。
更に宿場は北に伸びて続いていますが、
どちらかというと北側が宿場の中心らしい。
・・ですが写真は撮り忘れてしまいました。
北上して堀野に入ると八戸道の追分となり、
八戸藩の参勤交代ルートとなります。
※八戸道は登り街道とも呼ばれています。
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