梅田雲浜は小浜藩の儒学者山口菅山より、
崎門学を学んでこれに傾向し、
大津の崎門学者上原立斎の門下となります。
才能を認められた雲浜は立斎の娘を娶り、
自らも私塾湖南塾を開きました。
大津宿より歩いて湖南塾跡へ。
旧西近江路に沿って進むと、
京都へ水を運ぶ琵琶湖疏水が現れます。
「琵琶湖第一疏水」。
明治時代に作られた水路で、
3代京都府知事となった北垣国道が、
※但馬国養父郡の浪士で生野の変に参加。
後に鳥取藩に仕官して北越戦争に従軍。
維新後は高知や徳島の県令を経て、
京都府知事に就任しました。
遷都で沈んだ京都の活力を呼び戻す為に、
琵琶湖疏水の建設を開始。
疏水は着工から5年後に完成しており、
水力発電を効果的に利用して、
新しい工場が建ち、路面電車が走り、
京都は活力を取り戻したという。
この水路が京都まで続いているとは、
とてもロマンを感じますね。
「大津市立長等小学校」。
琵琶湖疏水の北側にある小学校。
正門前に湖南塾の跡碑があります。
「梅田雲濱先生湖南塾址」。
実は湖南塾はここにあった訳ではなく、
旧北保町(現観音寺町)にあったようです。
それが何故か三井寺駅に建てられ、
後に鹿関町へ移された後、
現在の長等小学校前に移されたとのこと。
この湖南塾というのはよくわかっておらず、
何を教えたのか、誰が学んだのか、
いつ閉塾したのかも不明。
とにかく雲浜が開いた事実があるだけ。
推測するに立斎に学びつつ、
生活の為に寺子屋的なものを開き、
子供らに読み書きを教えたのでは?
そんな気がします。
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