鳥居本宿は中山道の63番目の宿場町で、
北陸街道の起点でもあります。
彦根市鳥居本町周辺。緑の線が中山道で、
青い線は彦根道(朝鮮人街道)。
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
「鳥居本宿跡」。
鳥居本宿は南北に長く伸びる宿場ですが、
時間と体力の関係から中間辺りから北上。
南端はここから約400m南にあり、
彦根道に接続しています。
「合羽所 松屋」。
鳥居本宿の特産品は道中合羽。
鳥居本の合羽は柿渋を使用しており、
保温性と防水防湿性に優れたようで、
旅人は鳥居本の合羽をこぞって求め、
特に紅殻入りは上物とされて、
主に北陸方面に販売されたという。
「脇本陣高橋家跡」。
脇本陣を務めた高橋家跡。
鳥居本宿には脇本陣が二軒ありましたが、
片方の脇本陣は早くに消滅し、
高橋家が江戸時代を通じて残りました。
高橋家は問屋場も兼ねていたようです。
「本陣寺村家跡」。
本陣を務めた寺村家跡。
中山道が整備された事により、
小野村の本陣を務めた寺村家が移転し、
屋敷を構えて本陣を務めました。
維新後は本陣建物は売り払われ、
住居部分だけが残されていましたが、
老築化した為に取り壊されて、
米建築家ヴォーリズの設計で、
和洋折衷の洋館が建てられています。
街道筋には商家が多く残され、
往時の雰囲気を良く残しています。
「旅籠米屋跡」。
湖東焼赤絵師岩根自然斎の旧宅でもあり、
彦根藩に許されて湖東焼を販売しました。
自然斎の号は井伊直弼より賜わったという。
「赤玉神教丸有川家」。
赤玉神教丸を販売する有川家の建物。
腹痛、下痢止めの妙薬として知られ、
中山道の旅人が競って買い求めたという。
ここは明治天皇の北陸巡幸の際には、
休憩所として利用されています。
有川家の先祖は有栖川家の出入りを許され、
この縁で有川家を名乗ったとされ、
万治元年より赤玉神教丸を作り始めました。
街道はここで枡形となっています。
「旅人の像」。
鳥居本宿北端に建てられたモニュメント。
おいでやす彦根市へ、
またおいでやすと書かれており、
市境によくあるモニュメントですが、
旅人の像を設置しているのは良いですね。
■中山道の宿場町
■北陸街道の宿場町
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鳥居本宿は彦根藩領でした。