源福寺は岡田藩伊東家の菩提寺。
その創建は延徳2年(1490)とされ、
江戸時代に周辺が伊東家の領地となると、
領内菩提寺として庇護されています。
「本堂」。
平成30年西日本豪雨災害で浸水し、
柱の骨組みを残して建て替えられています。
「位牌堂」。
歴代藩主の位牌が安置されたお堂。
高い位置に建ってはいますが、
水害の際は壁の半分以上まで、
水に浸かったとのこのです。
「萬随義光大居士」。
岡田藩9代藩主伊東長裕の墓。
歴代の中で唯一領内に墓があります。
長裕は8代伊東長寛の五男で、
長寛の世嗣であった伊東長禎の長男。
長禎は34歳で家督相続前に死去した為、
長寛の十一男伊東長之が世嗣となり、
長裕はその養子となりました。
しかし長之は病気で廃嫡されており、
代わって長裕が長寛の嫡孫となり、
長寛の死去に伴い家督を相続。
万延元年に10年の治世の後に死去し、
この源福寺に葬られました。
「大量院殿善質義翁大居士」。
8代伊東長寛の世嗣伊東長之の墓。
病気を理由に廃嫡されてはいますが、
その死は元治元年であり、
9代長裕より後の死去でした。
領内での気ままな部屋住みなので、
その分長生きしたのかもしれませんが、
そもそも病気が理由ではないのかも?
一段低い位置にある伊東家一族の墓所。
藩主側室や子女の墓があり、
その中には5代伊東長救の四男で、
岡田で没した伊東長煕の墓もあります。
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岡田藩領にあった宿場町。