日原には銅の鉱山があり、
安土桃山時代に開発されたとされ、
銅の鉱床が地表に出ていて、
日の光でキラキラと輝いていたという。
これが日原の地名の由来と云われ、
江戸期には天領となっていました。
「日原の街並み」。
日原に限った事ではありませんが、
山陰の街並みは石州瓦で統一されており、
古い建物も新しい建物も調和されて美しい。
「日原にぎわい創出拠点かわべ(大和屋跡)」。
日原の豪商大和屋水津家の旧宅跡。
主屋と蔵が改修されて現存しており、
日原にぎわい創出拠点かわべとして、
レンタルスペースやカフェなど、
地域の交流、賑わい拠点となっています。
「高札場跡」。
火の谷川に架かる橋の先の三叉路に、
高札場が設置されていたようです。
川沿いを上る道は難身切不動尊の参道で、
日原で一番賑わっていた場所とのこと。
「丸立寺」。
石見銀山から僧侶がやってきて、
麹屋藤井家の近くに逗留し、
地域の人々の相談に応じていたところ、
近郷からも人々が集まるようになり、
やがて寺ができたとのこと。
この境内に芋塚と呼ばれる碑があります。
「泰雲院殿義岳良心大居士」。
芋塚と呼ばれる謝恩碑のようで、
碑銘は戒名が刻まれてお墓みたいですが、
19代大森代官の井戸平右衛門を称えたもの。
井戸は享保の飢饉(1732)の際に、
独断で幕府の蔵を開放して食料を配り、
減税も行って民を救済した人物。
薩摩から芋の茎を取り寄せて、
その栽培を推奨する等で善政を尽くし、
芋代官として慕われていたという。
「藤井家住宅(旧麹屋藤井家)」。
代々山年寄りを務めた麹屋藤井家の屋敷。
明治期には精蝋業を営んでいました。
裏手の高津川の堤防からの藤井家住宅。
旧蝋板場などの諸棟が現存する他、
荷物の搬出を行った川門も残っています。
日原の銅採掘は一時期の中断を経て、
昭和中期まで続けられたようで、
朱色山斜面には10以上の間歩があり、
山道も残っているとのこと。
日の光でキラキラと輝いていた日原は、
夜になると漆黒の闇に包まれ、
本州一光害の少ない夜空となるという。
この為日原天文台が設置されており、
天気の良い新月の夜には、
満天の星空が見えるそうです。
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