谷中霊園にある宇和島藩伊達家の墓所。
「宇和島藩伊達家墓所」。
宇和島伊達侯爵家の墓所ですが、
分家の男爵家の当主の墓もあります。
歴代藩主の墓所は宇和島市にあり、
ここにある8、10代の墓もありますが、
こちらの方が本墓のようです。
「従一等勲一等伊達宗城公之墓」。
宇和島藩8代藩主伊達宗城の墓。
大身旗本山口直勝の次男に生まれ、
7代宗紀の養子となって家督を相続。
宗紀の藩政改革を発展させ、
高野長英や村田蔵六を宇和島に招き、
藩の近代化を進めました。
英国外交官アーネスト・サトウは、
「四国の小領地にはもったいない程有能」、
「大名階級の中でも一番の知恵者」と評し、
宗城を評価していたようです。
将軍継嗣問題では一橋派に属し、
井伊直弼ら南紀派と対立した為、
安政の大獄で隠居謹慎処分となりますが、
隠居後も実権を握り続けました。
放免後は再び幕政に関与する事となり、
公武合体を推進。
維新後は新政府の議定となりますが、
戊辰戦争が始まると辞任しており、
明治2年に民部卿兼大蔵卿に就任し、
明治4年には欽差全権大臣となり、
清の全権李鴻章と日清修好条規に調印し、
この年に中央政界より引退しています。
明治25年、死去。
「宮中顧問官従二位勲三等
侯爵伊達宗陳墓」。
宇和島伊達家10代当主伊達宗陳の墓。
宇和島藩最後の藩主伊達宗徳の長男で、
宗徳の死去に伴い当主となります。
貴族院侯爵議員に生涯在任し、
宮中顧問官等を務めました。
墓所は谷中霊園の乙8号11側。
■関連記事■
・愛媛県宇和島市 等覚寺/宇和島伊達家墓所
宇和島藩伊達家の領内墓所のひとつ。
・愛媛県宇和島市 大隆寺/宇和島伊達家墓所
宇和島藩伊達家の領内墓所のひとつ。
・愛媛県宇和島市 宇和島城
宇和島藩伊達家の居城跡。