誓願寺は松江市寺町にある浄土宗の寺院。
元々は安来市広瀬町富田あったようで、
藩主家であった堀尾家の香華寺でしたが、
慶長16年(1611)に堀尾吉晴が、
富田城から松江城に居城を移した際、
現在地に移ったという。
後に松平直政が松江藩に封じられると、
2代将軍徳川秀忠の位牌を安置し、
国内諸宗の上席と定められています。
「誓願寺」。
数度の火災に遭ったようで、
現在の本堂は鉄筋コンクリート製。
後に9代将軍徳川家重や、
14代将軍徳川家茂の位牌も安置され、
これら位牌が現在も残っているとのこと。
「誓願寺墓地」。
誓願寺の墓地は高架を越えた道向かい。
往時は広大な寺域を誇っていたのでしょう。
ここに松江藩家老三谷家の墓所があります。
「三谷家墓」。
初代三谷権大夫長玄から、
2代三谷長元、3代三谷長暢、
4代三谷長清、5代三谷長達、
6代三谷長熈、7代三谷長敏、
8代三谷長順の歴代家老とその妻、
及び以降の当主と一族の合葬墓。
三谷家は阿波の豪族だったようですが、
阿波を追われて没落しており、
当主三谷長基の娘お駒(月照院)は京に流れ、
洛中で遊女に身を落としたとも、
結城秀康の母の侍女となったともされます。
後に秀康に見初められたようで、
側室となって松平直政を出産。
初代三谷権大夫長玄はお駒の弟とされ、
直政と共に養育されており、
直政が初代松江藩主となるとこれに従い、
3700石を賜わって家老として仕えました。
以後は8代長順まで家老を世襲し
現在も当主は松江に在住しているとのこと。
かつての下屋敷であった三谷家住宅には、
近代近世の文書を多く所蔵しているようで、
貴重な研究対象になっているようです。
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