大庭家は長府の大年寄を務めた家柄で、
幕末の当主大庭伝七は白石正一郎の実弟。
正一郎とは20歳も離れた末弟であり、
血気盛んな若者であったようで、
尊皇攘夷運動に邁進していました。
「大庭傳七・柯公旧宅跡」。
大年寄大庭家の屋敷があった場所。
現在は民家となっており、
敷地角に跡碑が設置されています。
伝七は当主となった後も国事に奔走し、
筑前等にも出向いていますが、
奇兵隊には入隊していませんので、
ある程度は家業も忙しかったのかな?
大庭柯公は伝七の三男ですが、
長男大庭景一は陸軍少佐、
次男大庭景陽は維新史料編纂所職員、
四男太田光凞は京阪電気鉄道社長と、
それぞれ活躍しています。
柯公は雅号で名は景秋といい、
ロシア語や英語を学んで通訳となり、
後に記者となって新聞各社に在職。
その過程で社会主義思想に傾斜し、
大正10年にロシアへ取材に行った際、
スパイ容疑で当局に逮捕され、
翌年に釈放されたとされますが、
密かに粛清されたという。
昨今のロシア情勢を鑑みると、
なんとも考え深いですね。
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