下関市吉田 東行庵/白石正一郎の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石正一郎の墓碑。
彼については何度も取り上げていますが、
竹崎の荷受問屋小倉屋の8代目。
熱心な神道信者であった白石は、
国学者鈴木重胤が下関立ち寄った際、
彼の教えを聞く機会を得ており、
弟子となって国学に傾倒したという。
家業についても精力的に取り組み、
多くの新規事業にも取り組んでいますが、
商敵からの妨害も多かったようです。
高杉晋作の訪問を経て奇兵隊が結成され、
会計方を務めた後も商売は継続。
しかし次第に屋台骨は傾いてゆき、
最終的に小倉屋を畳むに至りました。
晩年は下関で隠棲しており、
明治10年より赤間神宮2代宮司を務め、
明治13年に死去しています。


白石正一郎之墓」。
白石は赤間神宮裏手の紅石山に葬られており、
また累代墓も下関中央霊園にあります。
この墓は昭和48年に建立されたもので、
同年には東行庵に歌碑も建立されています。

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 小倉屋の浜門が移築現存しています。