下関市阿弥陀寺町 真木菊四郎・白石正一郎の奥都城

赤間神宮の裏手の紅石山に、真木菊四郎・白石正一郎の奥都城があるらしい。
奥都城とは、神道式の墓ですね。
白石正一郎は晩年、赤間神宮の2代宮司となっています。

で、赤間神宮の人にどうやって行くのか聞くと、
藤原義江記念館というところから行くのが良いということで、
行ってみました。

藤原義江記念館は、春帆楼から李鴻章道を抜けると行けます。
急な階段を登った小高い場所に雰囲気の良い門がありました。
紅葉も綺麗ですね。
ちなみに藤原義江は、「われらのテナー」の愛称で知られる
世界的オペラ歌手です。

これが藤原義江記念館(紅葉館)です。
昭和11年に、英国系商社ホーム・リンガー商会の
社長令息のために建てられた住宅だそうです。
白い装飾性のないモダンな外観。
鉄筋コンクリート3階建の登録有形文化財です。

建物の右の山になのやら看板が立てかけられている・・・。
というより、落ちていると言った方が良いかもしれません。
よく見ると山道があります。

落ちてる(立てかけられてる?)看板には、
真木菊四郎白石正一郎の文字が・・。
どうも間違いないようです。

ちょっと登ったらありました。
右が「真木菊四郎の墓」。左が「白石正一郎の奥都城」です。
白石正一郎の方は、没後100年に建立されたようなので新しいですね。

白石正一郎がなぜ、不遇な晩年を過ごしたのか?
長州、薩摩、土佐など明治の元勲らの多くは、
彼に何らかの関わりがあったはずです。

誰々の知人というだけで、新政府の役職に就けた人間が多数いた中、
白石正一郎ほどの人物が、ほったらかしにされたとは思えません。
何かがあったのか?はたまた、彼自身が任官を辞退したのか?
家業の傾きも元勲らの援助でなんとかならなかったのか?
こういうことこそ、幕末維新の謎と言えるのだと思いますね。

真木菊四郎は、海援隊池内蔵太に暗殺されたようです。
菊四郎は、薩長同盟の締結に奔走していたようで、
禁門の変に参加した池内蔵太にしてみれば、
「敵と同盟を結ぼうとするとは許さん!」
といった感じでしょうか?
薩長同盟に一役買ったのが、
自分ところのボスである坂本龍馬だったという事実は笑えませんね。

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  池内蔵太は海難事故で死亡しています。
白石正一郎のお伊勢参り①/////////
 お伊勢参りに行った際の行程。
下関市長府 白石正一郎邸浜門
 小倉屋の浜門が残されています。

4 thoughts on “下関市阿弥陀寺町 真木菊四郎・白石正一郎の奥都城

  1. 白石浩一

    >kii様
    コメントありがとうございます。
    私としては歴史に埋もれてしまったご先祖様に陽の目を見させて下さり、感謝を申し上げたいと思っています。
    これからも日本のために尽くした歴史上の人々を皆に伝えて下さい。

    返信
    1. kii 投稿作成者

      >白石浩一様
      ありがとうございます。
      これを励みにこれからも頑張っていこうと思いました。
      今後ともよろしくお願いいたします。

      返信
  2. 白石浩一

    白石正一郎の子孫です。
    昨日、お墓参りに行きました。
    その前は2015年に訪問しております。

    幕末の動乱により、正一郎は私財を全て投じたため破産を致しました。そのため、歴史から消えてしまったのだと思います。しかしながら、子孫は医者や歯医者、会社経営者などになり、現在は頑張っておりますよ。私自身は本籍を山口県のままにしております。

    返信
    1. kii 投稿作成者

      >白石浩一様
      ご訪問ありがとうございます。
      ご先祖様の事を勝手に記事にする無礼、
      お許し下さいませ。
      私としましては、幕末を生きた人々の生き様に共感し、
      皆に紹介したいという思いからブログ及びHPを運営しており、
      営利を目的としておりませんので、
      どうぞ暖かく見守って下さい。

      白石正一郎という人物がいなければ、
      奇兵隊も存在せず、明治維新も遅れていた事でしょう。
      歴史上の偉人の一人であると考えます。
      資材をなげうち破産はしましたが、
      それはけして無駄金ではなく、
      価値ある散財だと思います。

      明治以降であれば、山縣や井上などを利用して、
      小倉屋の再興も可能だったと思います。
      僕が思うに彼にはその気がなかったのではないでしょうか?
      既に私財なげうってまで支援した晋作は亡く、
      今更何の為に私腹を肥やそうというのか?
      年齢もあろう事ですし、
      静かに神職として余生を送ろうとしたのではないでしょうか?

      人によっては、財産を使わせるだけ使わせて、
      捨てられたかのように書かれることもありますが、
      そうではなく、役割を終えて自ら去ったのだと、
      僕は思っています。

      これからも白石正一郎の記事を、
      掲載させて頂く事もあるかと思います。
      どうぞご容赦下さいませ。
      またブログ「試撃行」を観に来て下さい。
      今後ともよろしくお願い致します。

      返信

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