明治28年3月20日。
下関で日清戦争の講和会議が開催されました。
即に言う「下関条約」です。
日本側は全権弁理大臣として、
総理大臣の伊藤博文、外務大臣の陸奥宗光らが、
清国側は欽差頭等全権大臣として、
北洋大臣直隷総督の李鴻章らが出席しました。
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割烹旅館「春帆楼」の敷地内に、
日清講和記念館が設置されています。
春帆楼は伊藤に当時禁制のフグを振る舞い、
そのフグの味に感嘆した伊藤が、
フグ食の解禁に助力したという老舗旅館。
※当時は老舗ではありませんが・・。
ふぐ料理公許第一号店でした。
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記念館内は会議の様子が再現されています。
日本側は始め強気に交渉を進めていましたが、
交渉を終えて宿舎へ戻る途中の李鴻章が、
自由党系壮士小山豊太郎に襲撃された為に、
この事件の影響で日本側は対清要求を譲歩。
李鴻章には明治天皇から見舞いが送られました。
古人テロは本人は良かれとやるんでしょうが、
大体において大迷惑な結果を生むもの・・。
記念館内はその他講和会議で使用された調度品、
両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨等が展示。
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記念館の横には、
伊藤と陸奥の胸像が並んで設置されていました。
この春帆楼の日清講和記念館は、
安徳天皇を祀る「赤間神宮」のすぐ隣ですので、
下関観光コースに必ず入っているようで
この日も観光ツアーの人達が多く見られ、
中国人らしい観光客もいましたが、
彼らはどんな気持ちで観光しているのでしょう?
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