三重県津市 本山専修寺

専修寺真宗高田派の本山寺院。
浄土真宗の教えを説いた親鸞聖人は、
下野国高田に専修寺を創建し、
やがて真仏(高田専修寺2世)に任せます。
これが真宗高田派の起こりで、
後に高田専修寺の10世真慧は、
伊勢での布教活動の拠点として、
文明年間(1469-1487)に無量寿院を創建。
10世真慧が死去した後は、
応真派と真智派の相続争いが勃発し、
無量寿院の住持であった応真が勝ち、
高田専修寺11世となった為に、
無量寿院は一身田専修寺とも称され、
12世堯慧の代に正式に改称します。
後に高田専修寺が本寺専修寺に、
一身田専修寺が本山専修寺となり、
真宗高田派の正式な総本山となりました。
※真宗高田派では総本山とは呼ばず、
 本山のみが存在します。


訪問時は梅雨の季節。
怪しい雲行きだったのですが、
車を停めて境内に入るなり土砂降り
ずぶ濡れになりながら参拝します。

山門」。
 宝永元年(1704)頃の再建の山門で、
御影堂の正面に位置する専修寺の総門
1層目の屋根の裏側が3間分張り出しており、
他に例を見ない裏向拝とのこと。
国指定重要文化財

山門はくぐらずに隣の唐門へ。

唐門」。
天保15年(1844)再建の唐門。
如来堂の正面に位置しています。
こちらも国指定重要文化財。


如来堂」。
唐門の奥に配置されたお堂で、
御影堂と並んで南面しています。
本尊は阿弥陀如来立像(証拠の如来:重文)で、
この如来堂が専修寺本堂にあたります。
国宝建築物


御影堂」。
親鸞聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、
歴代上人の画像を両脇壇及び、
両余間に敬置しているという。
国宝建築物。

残念ながら余りにも強い雨の為、
山門及び唐門から手を合わせるのみで、
専修寺を後にしました。

天台宗延暦寺本願寺と対立しており、
高田派も同一視され狙われていました。
この為に12世堯慧は比叡山に登り、
本願寺派と専修寺派は別であると陳述。
7日間に渡り浄土真宗の教義を講じ、
比叡山の僧らは感動したという。
延暦寺は高田派こそ真宗の正統と認め、
円仁作の阿弥陀如来立像を譲ったとされ、
これが本尊「証拠の如来」となっています。

専修寺を後にして少し経つと、
あれだけ降っていた雨は上がりました。
戻ろうかとも思いましたが、
既に日暮れとなっていましたので、
またいつか参ることにします。

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