①/②/③
つづき。
5月4日。
晴。昨夜聞いたように朝に良い風が出た。
官吏が水が無くなりかけているので、
今朝から風呂は海水を使うようにという。
諸子は甚だ困った。
朔日より今朝まで四方に山は見えない。
午後も風は良好で諸子は大いに喜ぶ。
海上には小島が見えたが、
通鏡で見ると島ではなく船だった。
※望遠鏡の事。
これは唐船で朝鮮に行く船らしい。
諸子は失望したが喜ぶ者もいたようで、
朝鮮行きの唐船がいたということは、
支那も近いという事らしい。
黄昏に鞍島が見えてきた。
※舟山島の事?
鞍島は上海から40余里の場所で、
諸子は大いに喜ぶ。
生地に入った心境である。
5月5日。
天晴。風は順風。
船は矢の如く馳せて呉淞江に到着。
呉淞江は揚子江の一地名である。
両岸を見るとその幅は3~4里で、
四面は草野で山は見えない。
外国船や唐船が停泊しており、
帆柱が林の様に立ち並んでいる。
本船もまた碇を下ろして碇泊し、
明朝まで川蒸気が来るのを待つ。
ここから上海までは7里。
5月6日。
早朝に川蒸気が来て本船を引き、
右折して江を遡る。
両岸は民家の風景は我国と同じ。
右岸にはメリケン商館があり、
長髪族と支那人が戦った地らしい。
※長髪族とは拝上帝教の宗徒で、
太平天国兵の清国側の俗称。
辮髪を否定して髪を伸ばしていた為、
清国側からそう呼ばれていた。
午前中に上海に到着。
ここは支那で一番栄えた港で、
ヨーロッパ諸国の商船、軍艦等、
数千艘が停泊しており、
帆柱は森林の様に港を埋めようとし、
陸上は諸国の商館が粉壁を並べ、
まるで城郭の如し。
その広大巌烈さは筆紙では表せない。
※この辺りの情緒ある描写は、
晋作は上手だと個人的に思います。
午後に官吏が上陸して蘭館へ行き、
予らもこれに従い、
官吏は登楼し従臣は楼下で待つ。
予は清国人3名と筆談し、
官吏は蘭人との応接が済むと、
清国人の案内で市街を徘徊。
土人らは我らを珍しがって見る。
姿が異形故にだろう。
各町の門には名が掛かっている。
酒店や茶屋等は我国と同じようである。
但し臭いがきつい。
黄昏に本船に帰って甲板に上がり、
四方を見渡すと舟子の欵乃が聞こえ、
軍艦の発砲音と相応じており、
実に愉快であった。
夜に入ると両岸の燈火が波に映り、
素晴らしい光景を魅せた。
‐‐‐‐‐‐
これにて航海日録は終了し、
続いて上海掩留日録に突入。
上海での日々が記録された後に、
続航海日録で復路の日記が書かれます。
上海掩留日録は別で紹介するとして、
次回はとりあえずはタイトル通りに、
復路の日記を綴ります。
つづく。
①/②/③
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晋作の江戸までの航海日記。
・試撃行日譜①
晋作は北関東、信州、北陸の遊学日記。
・初番手行日誌①
江戸で晋作は番手方として出仕。