高杉晋作の航海日録③

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つづき。

続航海日録
文久2年7月5日
午後、蒸気船が来て本船を引く。
支那人の水先が船主に代わり号令。
逆潮を下って碇泊船の間を通る。
初めは船針を北へ向け、
右折して南東に向かい、
また左折して北へ向かう。
呉淞江に至る頃には日は落ちており、
蒸気船は上海に帰って行く。
本船は港口に碇を下し出発しない。
逆風であるからである。
水先はこの夜本船に泊った。

文久2年7月6日
朝。解纜。風は東北に吹き、
船は東に向かって進む。
日本で俗にいう所のヒラキなり。
※風を受けるように帆を開く操帆法。
十二點鐘の頃に海口に至り、
水先は帰って行く。
彼は外国船の水先で月400元得るという。
上海から海口まで15里で60元らしく、
津湊の繁盛が以って知れる。
日暮れに鞍島の南方を進む。
鞍島は3~4の島があるようで、
その広さは日本の天草島と同じくらい。
夜に入って北風が強くなり、
船がよく馳せた。

文久2年7月7日
雨は止み。風は北北東に吹いている。
船針は東へ向く。
八點鐘の頃には風が少し衰え、
二點鐘の頃には風が少し強くなった。
甲板から四方を見回しても、
陸地は全く見えない。
大船が波に浮かぶのが見えるのみ。
夜に入っても船はよく進んだ。

文久2年7月8日
雨は止み。風は落ちる。
船針は寅卯方向を向いている。
十二點鐘の頃に風は西に吹くが、
これは弱い風。
船は進まず動揺するのみ。
この日が五代と航海の事を話す。
夜半に風は止まった。

文久2年7月9日
晴。船針は寅卯方向を向き、
五點鐘の頃に南風が吹くが、
風の力は弱く終日進めない。
甲板上の人は島が見えないかと、
見回してみるが何も見えない。
日は海中に落ちる。

文久2年7月10日
好晴。東風だが風は弱い。
空と海中が動揺している。
巳牌の頃に辰方向に1点の島影を見る。
皆はこれを男女島だとか、
或いは雲煙であるとか色々言っていた。
船が進むと男女島と判り諸子は大喜び。
夜に入ると北東の風が少し起きる。

文久2年7月11日
晴。終日逆風。
船は女島の3~4里を漂う。
俗にいう所のまきりで走行。
※間切は向かい風での走り方。
 左右交互にジグザグに前進する。


文久2年7月12日
好晴、五島が見える。
島まで漁舟が散らばっている。
諸子はこれを見て喜びに絶えない。
黄昏に北東方向に大風。
船は矢のように進む。

文久2年7月13日
早起きする。昨夜の風はまだ止んでない。
船はよく走り野母崎を経て伊王崎
風は他方から吹いて進めない。
左や右に進んで四郎島に至り碇を下す。

文久2年7月14日
晴、昨夜海関千歳丸の帰帆を鎮台に告げ、
※海関は湊会所。鎮台は奉行所
今朝になって鎮台の命で小舟がやってきた。

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以上、航海日禄は終了。
今回は航海日録のみ紹介しましたが、
また上海掩留日録もやるつもりです。
但しこちらは気合が必要ですので、
少々時間を要するかもしれません。

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