下関市彦島 弟子待砲台跡

海軍山と呼ばれていた彦島南公園
その公園から海岸へ下りると、
2つの遺跡が残っています。


水雷発射基地突堤」。
日露戦争の際に露軍バルチック艦隊が、
関門海峡を通過した際に迎え撃つ為、
建造された水雷発射基地突堤
バルチック艦隊は連合艦隊により、
日本海海戦で全滅しましたので、
この水雷発射基地の出番は無く、
そのまま放棄されたとのこと。
仮に出番があったとすれば、
日本は負けていたかもしれませんね。

この突堤の北側に砲台跡が残っています。

弟子末砲台跡」。
台風や潮流で破壊されてはいますが、
しっかりとした石垣が組まれていた様子。
弟子待の台場には連城砲7門が置かれ、
砲術家守永弥右衛門の指揮で、
荻野隊が常駐していたという。
また長府藩からも600名の兵が駐留し、
防備にあたったようですが、
砲火を交える事は無かったとのこと。

連城砲がどのような大砲が不明ですが、
ここに7門も置けると思えないので、
このような砲台が他にもあったのか?
どうにも想像が出来ないところです。

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