伊万里津は伊万里川河口に開けた港町で、
肥前一帯で造られた磁器が積み出され、
上方や江戸に運ばれていました。
伊万里川河口周辺。
青でぼかした辺りが伊万里津のあった場所。
「伊万里川」。
写真手前辺りが船着場跡で、
多くの磁器が積み出されたようです。
伊万里より各地に運ばれた磁器は、
伊万里焼と呼ばれて非常に重宝され、
佐賀藩の貴重な財源となりました。
「浜町の街並み」。
伊万里津には磁器商人達が集まり、
前川善左衛門、犬塚伊左衛門、
石丸源左衛門、松尾彦兵衛、
武富七太郎等の豪商が活躍しました。
写真は旧犬塚家の住宅で、
文政8年(1825)年頃に建設されたもの。
犬塚家は丸駒の商号で上方へ進出し、
伊万里津屈指の磁器商として隆盛。
製作者ではなく商号を入れる事は、
当時としては非常に珍しかったという。
藩祖鍋島直茂が朝鮮出兵の際、
朝鮮から多くの陶工を連れて来て、
これらの陶工により磁器製造が開始。
藩の主導によって一大産業に発展し、
有田焼、波佐見焼、鍋島焼等が造られ、
これらを総称して伊万里焼とされました。
伊万里焼は日本だけでなく、
長崎の出島より欧州へも運ばれており、
王侯や貴族の宮殿を飾っています。
相生橋に設置された伊万里焼の壺。
市内の多くの橋にはこのように、
伊万里焼が飾られています。
残念ながら焼物の造詣が浅く、
伊万里焼を語る事は出来ませんが、
なんでも鑑定団は観ていますし、
古伊万里とか釉薬とか、
言葉だけは知っていたりします。
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