峰雲院は中央区坪井にある曹洞宗寺院。
熊本藩家老有吉家4代有吉英貴が、
寛永11年(1634)に建立しました。
同地は元々有吉家の下屋敷だったという。
「本堂」。
峰雲院は西南戦争で焼失しており、
昭和49年に再建されています。
墓地は本堂の裏手。
「有吉家墓所」。
墓地は結構荒れ果てていますが、
熊本地震の被害のようです。
なんでも全ての墓石が倒壊したようで、
少しずつ復旧されているとのこと。
巨大な五輪塔が倒れる程ですから、
相当な揺れだったのでしょう。
墓域は荒れているとはいえかなりの規模。
多分歴代当主は揃っている筈ですが、
被葬者の判別は出来ませんでした。
有吉家は初代佐々木立英から、
2代有吉立言、3代有吉立行、4代有吉興道、
5代有吉英貴、6代有吉英安、7代有吉貞之、
8代有吉貞親、9代有吉立貞、
10代有吉立好、11代有吉立邑、
12代有吉立喜、13代有吉立直、
14代有吉立憲、15代有吉立生、
16代有吉立元、17代有吉立道、
18代有吉立愛、19代有吉立武、
20代有吉立礼と続いています。
幕末期の当主18代立愛は、
京都御所の警護や長州征伐に出陣。
維新後は熊本藩大参事を務めました。
晩年は熊本法律学校や、
九州学院(現済々黌高等学校)創設し、
熊本の子弟教育に尽力しています。
「有吉氏先世追祀碑」。
有吉家の先祖を祀る追祀碑。
有吉家は宇多源氏佐々木氏の末裔で、
室町期は丹波国三河内の豪族となり、
初代佐々木立英が細川元有に仕えて、
以後は細川家の家臣となったという。
3代立行は細川藤孝に仕え、
細川家の幾多の戦場で活躍しており、
中山城代に任じられています。
徳川家康が上杉征伐を開始し、
主君である細川忠興が参加すると、
豊後国の杵築城を守備しており、
大友義統と戦いました。
関ヶ原の戦い後は長岡姓を与えられ、
子孫は上卿三家三座の家格となり、
江戸期を通じて家老家として活躍。
20代立礼が男爵に叙爵されています。
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