弘前宿は羽州街道の宿場で、
弘前城の城下に置かれていました。
弘前城南東周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが弘前宿跡。
北側から散策しますが、
どこが入口かわからない為、
代官町より南下してみます。
「代官町」。
はじめ和徳派町として町割りされ、
46軒町家があったようですが、
延宝5年(1748)の弘前惣御絵図には、
代官丁と書かれており、
武家屋敷と町屋が混在していたようです。
代官が住んでいた為の町名のようですが、
実際にいつ誰が住んでいたのかは不明。
代官町通りはゆるやかに右に折れ、
土手町へと至ります。
周辺にはお洒落な店がちらほら。
土手町と交わる交差点を左折。
札の辻のような辻ではありますが、
弘前城下の札の辻は街道沿いに無く、
旧弘前市立図書館前辺りにあったらしい。
「土手町」。
商店街となっている土手町。
店舗は殆ど埋まっているようで、
今も現役の商店街のようです。
江戸期もメインの商人町だったようで、
多くの店舗が軒を連ねたとのこと。
更に真っ直ぐ進むと松森町。
「松森町」。
元禄期まで猫右衛門町と呼ばれましたが、
松並木を整備する松守が多く住んだ為、
松森町と呼ばれるようになったという。
この辺りから企業や民家が増えてきます。
「よしや質店」。
松森町にある赴きある建物。
明治期の建築とのこと。
「平尾松月堂」。
和菓子屋だった建物ですが、
既に廃業し空家となっている模様。
「高木商店」。
金文字看板が素敵な髙木商店。
農薬や肥料を扱うお店で、
建物は昭和初期の建築とのこと。
街道は髙木商店のある取上交差点を右折。
右折した先が富田町です。
「富田町」。
富田町は藩主の参勤路が、
小栗山村経由に変更された為、
新町として町割されたとのこと。
※最初の参勤路は松森町を更に進み、
取上を経て堀越を経由していた。
はじめ遊女街となっていましたが、
風紀が悪くなった為に廃止され、
旅人相手の茶屋が置かれたという。
この道の先に枡形があり、
城下への入口となっているようですが、
車を停めた駐車場が遠くなったので、
この辺りで散策を止めて戻りました。
■羽州街道の宿場町
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