国司家の菩提寺天龍寺のすぐ横の神社。
「広矛神社」。
元々は若一王子神社と称し、
鎌倉時代建立のようですが詳細は不明。
大己貴神、事代主命、武御名方命が祭神。
代々万倉領主の庇護を受け、
社殿も数度の修造をされており、
棟札も残されているようです。
「社殿」。
国司親相は京都進発の折に、
ここで戦勝祈願を行っていますが、
御存じのとおり敗北してしまいました。
勝つのはどう転んでも不可能だった訳で、
御利益が無いと考えるのも可哀想。
最終的に長州藩が幕府に勝ったという事や、
親相の名誉も回復されたので、
そこが御利益だったと考えるべきでしょう。
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