福岡県北九州市 開善寺/原家墓所

小倉にある開善寺に再訪。
小倉藩家老家の墓所を参拝します。


原家墓所」。
原家は信州時代よりの小笠原家家臣。
小倉藩の重臣拾四家のひとつで、
※幕末期のこと。
小笠原織衛家小笠原若狭家
小笠原甲斐家小笠原内匠家
宮本伊織家渋田見舎人家
中野一學家小宮民部家
島村志津摩家鹿島刑部家
二木求馬家福原多聞家
大羽蔵之助家と共に[大夫]と呼ばれ、
1300石を知行した名門家でした。
一番大きな五輪塔累代墓です。


永真院義道宗卓居士
 見壽院智観妙恵大姉
」。
中央にある原三左衛門尉昌業夫妻の墓。


高壽院悠山自休居士(右)」、
心香院天然自性大姉(左)」。
原興右衛門昌常の墓とその室の墓。

原家については資料に乏しく、
昌業及び昌常が何代なのか、
何をした人物なのかわかりませんが、
原家の家祖は原興右衛門昌聴
幕末の当主原主殿小倉戦争の際には、
小荷駄惣奉行に任じられており、
先鋒島村志津摩渋田見新
小笠原織衛と共に長州藩と戦っています。

これらの墓は昭和36年に開善寺が市街から、
※小倉北区馬借1丁目。
現在地に移転した際に改葬されたもの。

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