僕の住んでる場所から一番近い城は小倉城です。
子供の頃から何度か行っており、
あまりにも身近でしたので、
わざわざ記事にすることもなかったのですが、
たまたま近くの商業施設に用があったので、
ちょっと寄ってみました。
「小倉城天守」。
昭和34年に鉄筋コンクリートで、
模擬復興されたもの。
幕長戦争の小倉口の戦い(小倉戦争)において、
小倉藩が自焼させたと思っていましたが、
実はその当時は天守は存在なかぅたという。
天保8年の失火によって本丸御殿と共に焼失し、
御殿は再建されましたが天守は再建されず、
天守台には御三階と呼ばれた簡易の櫓を建て、
天守の代わりとしていたようです。
どのようなものかはわかりませんが、
焼失する前の実際の小倉城天守は、
破風の無い簡素な外観が特徴だったようで、
現在の天守とは全く別のものという。
内堀をはさんで商業施設が建てられています。
城と現代建築物の対比がなんともシュール。
赤坂の戦い後に小笠原長行ら軍目付が撤退し、
小倉藩は孤軍の状況に陥りました。
軍議で降伏か交戦かの激論が交わされた結果、
一旦退いて田川郡の要所を固める事に決定。
小倉城及び武家屋敷に火が放たれ、
城下は灰燼と化しました。
小倉藩兵のいなくなった城下に長州軍が入り、
場内の残留兵器を検分すると、
洋式の最新兵器ばかりであったという。
記録には、
「元来十五万石の大名には不似合の器械、
その他極品を多く持っており、
鉄砲弾薬は大概舶来物多し」
となっていますので、
装備は劣っていなかったことが窺えますね。
小倉藩は後にゲリラ戦を展開するわけですが、
籠城となったらどうなっていたのでしょう?
1ヶ月位持ちこたえていたならば、
幕府から援軍が送られどうなっていたのか?
状況から援軍は来ないものと踏んで、
城を出る事を選んだのかもしれません。
【小倉藩】
藩庁:小倉城
藩主家:府中小笠原宗家
分類:15万石、譜代大名
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小倉藩は御茶屋を仮藩庁としています。