平成28年4月の熊本地震によって被災し、
多くの建造物が倒壊してしまった熊本城。
現在は修復中で立ち入りが制限されています。
最大震度7という大規模なこの地震ですが、
遥かに遠い下関でも揺れを感じたほどです。
仕事の打ち合わせで熊本市内に行ったので、
遠巻きながら現在の熊本城を見てみようと、
近くまで車を走らせました。
大きなクレーンが何本も立っており、
修復中の様子が窺えます。
熊本城の麓にある[桜の馬場 城彩苑]で昼食。
その近くの行幸坂の入口脇の碑。
「西南の役回顧之碑」。
西南戦争の初戦であった熊本城攻防戦。
西郷軍がこの城を攻略できなかったことが、
その後の勝敗を左右したとされます。
幕末以降の攻城戦で落城していないのは、
西南戦争でのこの熊本城だけ。
熊本城の堅固さは証明されているのですが、
西郷軍の猛攻に耐えたこの城も、
地震には勝てなかったようですね。
「宇土櫓」。
並の城の天守にも匹敵する宇土櫓。
現存遺構ですがこれも破損がひどく、
修復作業中です。
名の通り宇土城の天守だったという。
熊本城は加藤清正築城の日本三名城の一つ。
大名の城の中では日本一とされていましたが、
次代加藤忠広の改易により細川忠利が入り、
以後は幕末まで細川家が治めます。
幕末期には横井小楠や宮部鼎蔵らを輩出し、
第二次長州征伐の小倉戦争では、
長州軍を苦しめていますが、
長州軍との単独戦争に陥ることを恐れ、
独断で撤兵しています。
この小倉戦争での熊本藩の離脱が、
長州軍の勝利の一因となりました。
幕末の末期には佐幕派が実権を握っており、
時勢に乗り遅れてしまい、
投獄していた河上彦斎に協力を求めますが、
河上はこれを拒否した為に、
維新の主導権を握ることは出来ませんでした。
熊本城の復旧は、天守閣の修復が3年、
全体の修復が20年掛かるとされています。
とはいえ天下の名城ですので、
しっかりと修復させて、
往年の雄姿を見せててもらいたいものです。
【熊本藩】
藩庁:熊本城
藩主家:細川宗家
分類:54万石、外様大名(国持)
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