宇土藩は熊本藩の支藩。
熊本藩2代細川光尚の従兄弟である細川行孝が、
宇土郡、下益城郡3万石を分与されて立藩し、
明治3年に熊本藩に合併されるまで11代続き、
そのうち6代細川斉茲は8代熊本藩主に、
8代細川斉護は11代熊本藩主となっています。
「宇土市教育委員会(宇土陣屋跡)」。
陣屋跡は宇土市教育委員会の建物周辺ですが、
遺構は全く残っていません。
「宇土細川藩陣屋跡」の説明板。
教育委員会敷地前に説明板が設置されています。
陣屋跡には見るべきものが無いため、
幕末に架けられたという船場の石橋へ。
・・・が、橋が無い・・・。
熊本地震により揺みやゆがみが生じた為に、
解体して修理中との事。
橋を架ける際に使う支保工が近くにありました。
ちゃんと治るんですね。安心です。
船場の石橋はピンク色の美しい橋だったそうで、
その姿を拝見できなかったのは残念。
陣屋跡は遺構なし。石橋は解体中。
なんとも残念な訪問となったので、
近世宇土城に行ってみる事にします。
「近世宇土城跡」。
実は宇土城は2か所あります。
「宇土古城」と呼ばれる中世の城と、
小西行長が築城した「近世宇土城」がそれで、
先ほどの宇土陣屋も含めるととてもややこしい。
訪問したのは「近世宇土城」で、
宇土高等学校の裏手にあり、
「宇土城山公園」として整備されています。
「小西行長公」像。
公園内には城主であった小西行長の銅像。
行長はキリシタン大名で朝鮮出兵で活躍。
関ヶ原の戦いでは西軍として戦い、
敗れて捕えられて斬首されています。
行長の死後に宇土城は加藤清正のものとなり、
清正の隠居城として改修が行われましたが、
清正の死により改修は中止。
熊本城の宇土櫓は宇土城の天守を移築したとも、
宇土城の天守を模したものともされています。
幕末の宇土藩には特筆する事件・事項ななく、
宗家の熊本藩に従っていたと思われます。
第二次長州征伐には熊本藩と共に出兵しており、
戊辰戦争では御所大原口の警備を担当しました。
【宇土藩】
藩庁:宇土陣屋
藩主家:行考流細川家
分類:3万石、外様大名(熊本藩支藩)
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・熊本県熊本市 熊本城(復興中)
宗家の熊本藩細川家の居城。