宇土宿は薩摩街道の宿場で、
宇土藩の城下町に置かれていました。
宇土市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが宇土宿跡
南側から散策。
「一里木町」。
町名は一里木があった事によります。
薩摩街道には一里ごとに木が植えられ、
他街道の一里塚の様な役割をしていました。… 続きを読む
熊本県宇土市 宇土宿跡
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宇土宿は薩摩街道の宿場で、
宇土藩の城下町に置かれていました。
宇土市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが宇土宿跡
南側から散策。
「一里木町」。
町名は一里木があった事によります。
薩摩街道には一里ごとに木が植えられ、
他街道の一里塚の様な役割をしていました。… 続きを読む
轟泉水道は日本に現存する最古の上水道。
近隣住民約120戸の生活用水として、
現在も使用されているという。
宇土周辺は広大な平野が続き、
湧水の出る土地ではなかったようで、
井戸を掘っても塩分が混じる為、
水に恵まれない場所でした。
そこで宇土藩初代藩主細川行考は、
正保3年(1646)にここから出る湧水を、
延長4.8kmに及ぶ土管を敷いて、
宇土城下まで流す大工事を行い、
宇土に清水を齎しています。
「… 続きを読む
宇土藩は熊本藩の支藩。
熊本藩2代細川光尚の従兄弟細川行孝が、
宇土郡、下益城郡3万石を分与されて立藩し、
明治3年に熊本藩に合併されるまで11代続き、
そのうち6代細川斉茲は8代熊本藩主に、
8代細川斉護は11代熊本藩主となっています。
「宇土市教育委員会(宇土陣屋跡)」。… 続きを読む