大倫寺は中央区中寺町にある曹洞宗寺院。
鴻池家墓所のある顕孝庵の隣で、
周辺には曹洞宗寺院が集まっています。
「大倫寺」。
寺の由緒はわかりませんが、
ここに坂本鉉之助の墓があります。
「剛毅君之碑銘」。
山門の先にある坂本鉉之助の顕彰碑。
元々は文久2年に建立された碑でしたが、
砂岩で造られていた為、
風化により読めなくなったので、
新たに大理石で再建されたようです。
「瀧本玄馬
坂本譲子之墓(右)」、
「坂本俊貞之墓(中央)」、
「坂本俊貞室之墓(左)」。
中央が砲術家坂本鉉之助俊貞の墓。
高遠藩の砲術家坂本天山の四男で、
本家筋の玉造口与力坂本家の養子となり、
その家督を相続しました。
大塩平八郎とは旧知の間柄でしたが、
大塩平八郎の乱では鎮圧方にまわり、
鎮圧の第一の功労者となります。
吉田松陰も嘉永6年に彼を訪ね、
砲術の教えを請うています。
松陰は鉉之助に会った感想を、
兄の杉梅太郎への手紙に書いており、
鉉之助を高く評価していました。
幕府は鉉之助を直参にとしており、
鉄砲方に任じて屋敷と部下も与え、
更に白金100枚と大砲一門を下賜。
非常に優遇されたようです。
万延元年に鉄砲稽古場で倒れ、
そのまま死去しました。
左隣は鉉之助の妻の墓ですが、
右隣の瀧本玄馬がよくわかりません。
たぶん鉉之助の娘の夫か何かでしょう。
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