長崎県長崎市 上野彦馬墓所

風頭山坂本龍馬像の程近くに、
写真家上野彦馬の墓所があります。
彦馬は坂本龍馬高杉晋作等、
多くの志士らの写真を撮影。
日本の最初期のカメラマンでした。


上野家墓所」。
広く立派な墓域の上野家墓所
上野家は元々佐賀藩鍋島家の家臣で、
朝鮮出兵にも従軍していますが、
3代藩主鍋島綱茂の死去を機に長崎に移り、
以降は画業を生業としたようです。


上野彦馬墓(右)」、
上野常足墓(左)」。
写真家上野彦馬の墓と、
彦馬の父で蘭学者の上野常足の墓。
常足は画業の他に時計技師者でもあり、
長崎奉行の御用も務めていました。
その関係からか舎密学(化学)に興味を持ち、
硝石製造更紗製造彫金鋳造等を研究。
薩摩藩佐賀藩の御用も務めており、
エレキテル等も作成していました。
嘉永4年に死去。
彦馬は常足の次男として生まれ、
日田に遊学して広瀬淡窓咸宜園に学び、
安政5年に医学伝習所内の舎密試験所に入門。
舎密学を学んで湿板写真術に興味を抱き、
堀江鍬次郎らと共に技術を習得しました。
堀江に誘われて津藩の藩校有造館に赴き、
共同で化学解説書[舎密局必携]を執筆。
文久2年に長崎で上野撮影局を開業し、
多くの志士や名士を撮影しています。
明治7年に金星の観測写真を撮影し、
明治10年には西南戦争の戦跡を撮影。
後進の指導も積極的に行い、
日本における写真の発展に貢献しました。
明治37年、死去。

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