黒谷墓地にある赤松小三郎の墓。
「赤松小三郎墓」。
赤松は上田藩藩士芦田勘兵衛の次男で、
江戸で内田弥太郎や下曽根信敦に学び、
長崎海軍伝習所で航海術等を習得しました。
後に赤松家を継いで赤松小三郎の名乗り、
藩の調練調方、砲術道具製作等、
軍事に関する御用掛を歴任。
横浜で騎兵術や英語を学んだ他、
兵書の翻訳も始めており、
英国式兵学者として名を轟かせてた他、
松平春嶽や島津久光に対して、
議会政治の建白書を提出しています。
討幕の機運の中で内戦回避に尽力しますが、
これを良しとしない薩摩藩の思惑で、
中村半次郎らに暗殺されました。
比較的新しい墓石ですが当時の墓石は、
長野県の上田招魂社に保存されています。
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