天徳寺にある後藤松陰の墓所。
吉田松陰は大坂で3度も彼を訪問し、
その教えを乞うたようです。
「松陰後藤先生墓(左)」、
「松陰後藤先生配篠崎氏墓(右)」。
儒学者後藤松陰と妻の町の墓。
美濃の医師後藤玄中の二男として生まれ、
儒学者菱田毅斎に学び私塾の塾長を務め、
京都で頼山陽の私塾青山社に入門。
頼の九州旅行にも同行していますが、
母の病の報に接して帰郷しました。
後に大坂で私塾広業館を開いており、
広瀬旭荘や篠崎小竹と共に称されています。
※旭荘は廣瀬淡窓の弟。
吉田松陰は2度目の江戸遊学の途中、
※当時はまだ松陰を名乗っていません。
後藤松陰宅を3度も訪れており、
後に自ら松陰と名乗っている事からも、
訪問で何かを得たものと思われます。
ちなみに妻の町は篠崎小竹の娘。
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吉田松陰は後藤松陰と会っています。
