吉田松陰2度目の江戸遊学②

つづき。
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2月11日
晴。桃谷の坂本鉉之助を訪問して砲術の教えを乞い、
梶木町の後藤春蔵を訪問して舟に戻る。
三田尻の飯田邸に滞在時より風邪気味で食事をとって寝る。
※坂本鉉之助は大塩平八郎の乱鎮圧の功労者。
 荻野流砲術家で大塩勢の
梅田源左衛門を射殺したとされます。
 後藤春蔵は
頼山陽門下。ちなみに号は松陰と云いました。
 松蔭は常安橋の袂に錨を下した舟に舟中泊していますが、
 常安橋の南側には長州藩の蔵屋敷がありました。
 やはり後ろめたさがあったのでしょうか?


2月12日
晴。舟から出て森田謙蔵に会う為に大和五条を目指す。
高津宮に参拝し、仁徳天皇陵の方角に拝礼。
四天王寺の傍らの出こぼれ口より河内国に入る。
大和川を渡って藤井寺古市を経て春日
そこから1里の竹内村に宿泊。
※出こぼれ口というのがよくわかりませんが、
 たぶん小さな路地的なものなのでしょう。


2月13日
雨。午後から晴。宿を発って今北三在に至り五条へ。
森田謙蔵を訪問。彼は小幡五郎の師で号を節齋という。
五郎の事や論文を聞くなど夜半まで話し気分が良かった。
森田邸に宿泊。
※わざわざ大坂から会いに行ったのは、
 小幡の師だったから。
 小幡は一応死ぬつもりだったので、

 松陰はその事を伝えにきたのでしょう


2月11日~13日の行程。

2月14日
節齋に従って富田林仲村徳兵衛宅へ。
また増田久兵衛も同道。五條を出て千窟を越えて富田林へ。
※仲村家は岸和田の庄屋中家とトラブルを起こしており、
 その調停を節齋に依頼していたようです。
 増田は徳兵衛の叔父で、節齋とも親密な関係でした。
 節齋は当初より富田林に赴く予定で、松陰もこれに同行。
 その後、23日まで仲村家に滞在し、中村家所蔵のお宝を拝見。
 近畿諸藩の事、将棋や囲碁の事などを聞いています。


2月23日
晴。節齋に従って岸和田に至る。
藩校教習館相馬一郎を訪ねて議論する。
※相馬一郎は岸和田藩儒。
 松陰の岸和田での宿泊先は塩屋平衛門宅とのこと。


2月24日
晴。相馬が来る。この日の夜に節齋に従って相馬を訪問。
劇談になって次の日の午前10時頃帰る。

2月25日
晴。
※流石に10時頃に帰ったのでそのまま寝たのでしょう。
 以降、3月3日まで岸和田に滞在。
 この時期の日記は途切れ途切れになっています。



2月14日~2月25日の行程。

つづく。

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