吉田松陰2度目の江戸遊学④

つづき。
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5月1日
晴。五条を発して田井庄へ。
藤井隆奄家に投宿。森哲之助宅を訪ねる。

5月2日
雨。森氏の倅吉太郎を伴い八木谷三山翁の許へ。
漢王朝の史記なとの教授を受ける。

5月3日
晴。夜に小雨。午後に八木を発して郡山へ。
途中の俵本平野兵庫介の所領で、陣屋がある。
郡山は柳澤時之助の城下町。
※俵本は田原本。交代寄合5000石平野家の領地ですが、
 実高は1万石を越えていたようで、

 維新後に高直しを受けています。


5月1日~5月3日の行程。

5月4日
晴。藤川禎二を訪ねる。午後に郡山を発して奈良へ。
小刀屋善助の宿に宿泊。春日大社大仏(東大寺)を見学。
※藤川禎二(定二)は、後の岡村閑翁
 森田節斎の門弟で郡山藩儒臣。
 後に柳生藩に仕えて柳生藩権大参事となっています。


5月5日
晴。奈良を発して山城国に入り、
加茂笠置大川原島原上野に至る。

5月6日
曇。上野を発して、山田平松長野の峰々で伊勢湾を望む。
長野に至り三軒茶屋を左に進み、片田を過ぎてに入る。
宿は堅町。延岡藩の槍術家三宅喜太郎と同宿。


5月4日~5月6日の行程。

5月7日
晴。斎藤徳太郎水沼外衛、参謀河村貞蔵などを訪ねる。

5月8日
晴。津を発し松坂に至る。ここには紀州候の城。
櫛田の橋を渡り、宮川は舟で渡って山田に至る。
外宮に詣でて足代権太夫と談話。宿は村山遠江家。
※足代権太夫は伊勢神宮外宮の神官。

5月9日
晴。朝に村山家を出て再び足代を訪ね、松田縫殿も訪問。
昼に辞して津に至り投宿。大垣藩士野村龍之介に出会う。
※内宮には参拝せず・・
 野村は大垣藩儒で後の野村藤陰。

 偶然同宿で意気投合しています。

5月10日
雨。午後に起きて野村と斎藤拙堂の山荘を訪問。
息子徳太郎、伊勢松坂の家里新太郎、備中中島の三島貞一郎がおり、
話が弾み、夜は宿に野村、三島、家里が宿にきて談笑。
※斎藤拙堂は津の学者で、幕府も召し抱えようとしたほどの人物。
 現在も使われる「和洋折衷」は拙堂が唱えた言葉。
 家里は拙堂の門下で、後に京都で尊攘運動に奔走しますが、
 何者かに暗殺されています。
 三島も拙堂の門下で後の三島中洲
 後に備中松山藩に仕官して藩校有終館の学制改革を行い、
 明治以降も教育に尽くし東京帝国大学等で教鞭を振っています。
 東宮侍講として皇太子の教育にも当たりました。


5月11日
朝は雨で午前10時頃より晴。水沼外衛が来て演武所に行く。
午後4時頃に津を発し一身田に至る。
家里新太郎の家に投宿。


5月7日~5月11日の行程。

つづく。

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