つづき。
①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永6年3月3日。
①岸和田を発して②熊取の中左近家へ。
医生左海裕斎が来る。
※2/23より岸和田の塩屋甚兵衛宅に投宿。
相馬一郎(九方)ら岸和田藩士らと親交。
中左近家は岸和田七庄屋の筆頭で、
当主は代々左近を名乗っています。
松蔭は中左近家に5日まで滞在。
嘉永6年3月5日。
熊取を発して③岡田の山田文英宅へ。
※岸和田で知り合った医師山田文英を訪問。
山田宅に3月17日まで滞在しています。
嘉永6年3月17日。
岡田を出て④堺に至る。
道程は佐野、貝塚、岸和田。
※ここでの宿泊先は不明。
嘉永6年3月18日。
増田秀斎と小林新介を訪ねる。
午後に⑤富田林に至る。
※上2人がどういう人物かはわかりません。
富田林では再び仲村徳兵衛宅に投宿し、
3月30日まで滞在。
3月3日~3月18日の行程。
嘉永6年3月30日。
①富田林を発して②大坂へ。
宿は難波邦五郎家。
※難波邦五郎が誰なのかよくわかりません。
難波の邦五郎なのかもしれませんね。
嘉永6年4月1日。
晴。後藤春蔵と藤澤東畡を訪ねる。
※藤澤東畡は漢学塾泊園書院の主宰。
嘉永6年4月2日。
晴。坂本鉉之助、奥野彌太郎を訪ねる。
※奥野彌太郎(小山)は三上藩士。
名の知れた儒学者であったようです。
嘉永6年4月3日。
晴。後藤春蔵を訪ねる。
左海裕斎の話を聞く。
嘉永6年4月4日。
大坂を出発。
谷三山翁を訪ねる為に八木に向かう。
途中の③高田で投宿。
3月30日~4月4日の行程。
嘉永6年4月5日。
高田から八木へ。谷三山翁を訪ねる。
※谷三山は八木村の儒者で、
私塾興譲館を開いていました。
後に高取藩の藩儒となっています。
嘉永6年4月6日。
晴。五条に至り、堤孝亭に投宿。
※以後21日まで堤孝亭に宿泊。
この間の日記は無いようです。
嘉永6年4月21日。
晴。五条を発して田井庄に至る。
藤井隆奄家に投宿。
隆奄は魯庵の子で、弟に重平、子に柳亭。
森哲之助を訪ねる。森は三山の高弟。
※この藤井隆庵がよくわかりません。
家族構成はしっかり記されていますね。
嘉永6年4月22日。
曇。森宅を訪問して孫子を教わる。
森の嫡子吉太郎曰く、
狭山候が放蕩の咎で切腹させられたという。
昨年4月の事という。
※以後、25日まで藤井隆奄家に宿泊。
狭山候は狭山藩10代北条氏久の事か?
氏久は嘉永5年3月に隠居し5月に死去。
切腹させられた記録はありませんが、
噂でしょうか?
嘉永6年4月25日。
晴。田井庄を発して五条へ帰る。
※以降5月1日まで五条滞在。
4月5日~4月25日の行程。
つづく。
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