つづき。
①/②/③/④/⑤/⑥
5月12日。
曇。一身田を発し、大野を経て白子に出る。
これらは紀州藩の所領で、神戸は松平伊予守の所領。
追分に出てこれより東海道。
四日市を過ぎて桑名に入り、森伸助を訪ねる。
伸助は今尾に用事があって出向き、
弟の丸山荘左衛門と磯邉満次郎が大垣神戸に行くので、
彼らと一緒に今夜舟に乗る。
※この3人の桑名人がよくわからない。
桑名藩には後の箱館新選組頭取改役森常吉陳明がいますが、
どうも違うみたいです。
5月12日の行程。
5月13日。
午前10時頃に今尾に到着して上陸。
伸助と別れ、荘左衛門、満次郎と共に大垣に向かう。
大垣に着いて2人と別れ、
井上荘次郎、山本多右衛門を訪ねて、
それぞれ少しの間話をした。
呂久で川を渡り見石(美江寺)で宿泊。
※井上は最初の江戸滞在の際に、
安積艮斎の塾で知り合った人物で、
山本は同じく山鹿素水の許で知り合った人物。
5月14日。
晴。美恵志(美江寺)を発して河渡に至り、舟で川を渡る。
薩州候の儀仗に遭遇。加納は永井肥前守の城下。
切通に至り、磐城陣屋で和田萬彌を訪ねる。
鵜沼に至ると、右には犬山城が見えた。嵓窟坂を過ぎて大田に至る。
ここに飛騨郡代の官舎があり、そこに泊まった。
※薩州候の儀仗とは大名行列?でもこの頃の島津斉彬は鹿児島です。
では薩摩藩の何か公的な団体と遭遇したのかな?
切通には磐城平藩の飛地で陣屋がありました(記事はこちら)。
嵓窟坂はよくわかりませんが坂祝の事でしょうか?
5月13日~14日の行程。
5月15日。
朝曇。大田を発して木曽川を舟で横断。
伏見御岳を過ぎて細久手。宿は大久手。就寝後に大雷雨。
5月16日。
雨は午前10時頃に止んだが、終日曇。
大湫を発して大井に至る。この間の道左に西行の墓がある。
中津川に至り昼食。江戸人田邊定輔に逢う。
定輔は村瀬誨輔の次男。相伴って行き、落合、マゴメを過ぎて、
三戸野(三留野)に宿泊。
※西行の墓なんて無いようですが、ゆかりの地はあるらしい。
村瀬誨輔(田邊石庵)は、昌平黌教授。その次男に偶然会い、
あまり記載がありませんが、これより一緒に同道しています。
5月17日。
曇。三戸野を発して野尻、須原、植松に至り、福島で宿泊。
5月18日。
終日雨。福島には関所があるが、手形は必要なかった。
宮越、薮原、奈良井と進み、宿は洗馬。
※福島関所は中山道の重要な関所ですが、
「入鉄炮出女」以外は、結構緩かったようですね。
5月15日~18日の行程。
つづく。
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