吉田松陰2度目の江戸遊学⑥

つづき。
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嘉永6年5月19日
雨。①洗馬を発して潮尻に至る。
下嶺諏訪湖がある。
諏訪湖を過ぎて②和田に宿泊。
諏訪大社には参らず・・・。

嘉永6年5月20日
朝曇。午前10時頃に晴。
和田を発して③長久保に至る。
津和野候亀井陰州の行列に遭遇。
八幡、④岩村田小田井追分を過ぎ、
沓掛に宿泊。
※津和野藩は長州藩の隣藩ですが、
 遭遇した以外の事は記されていません。


5月19日~20日の行程。

嘉永6年5月21日
終日曇。①沓掛を発して軽井沢に至る。
碓氷峠を越えて坂本。右に妙義山
左に榛名山を望んで③安中に至る。
彦根候の行列に遭遇。
※この時の彦根藩主は井伊直弼
碓氷川に沿って下り④高崎に至る。
高崎は松平右京亮の城下町。ここで止宿。


5月21日の行程。

嘉永6年5月22日
①高崎を発して倉加野新町
本庄深谷を過ぎ、
宿は③熊谷

嘉永6年5月23日
晴。熊谷を発して④鴻巣に至る。
桶川上尾、⑤大宮浦和を過ぎて、
で宿泊。

嘉永6年5月24日
晴。蕨を発して板橋白山に至る。
田邊定輔と別れ、斎藤彌九郎の塾を見学。
桂小五郎松村文祥赤根宰輔がいた。
桶町の川岸に至り、
鳥山新三郎を訪ねるが不在。
北條秀英がそこにいた。
藩邸の瀬能吉二郎工藤半右衛門
井上壮太郎に手紙を書き、
父や宮部鼎三松岡良哉近藤源右衛門
妻木彌次郎に無事を知らせる手紙を書いた。
晩に新三郎が帰ってきて、
また壮太郎も来て楽しく話す。


5月22日~24日の行程。

以上が松陰2度目の江戸遊学の旅の行程。
松蔭の旅日記はこれで4回目ですが、
今回初めて原文から読んで抜き出しました。
※今までは書籍等を参考にしています。

この後で黒船を観に浦賀に行くのですが、
それはまた別の機会に・・・。

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