鳥取県米子市 清洞寺跡

米子藩の藩主であった加藤貞泰は、
朝鮮で病死した父加藤光泰の菩提を弔う為、
米子湾の亀島に美濃国黒野より曹渓院を移し、
その供養塔を建立しました。
元和2年(1616)に池田光政が鳥取藩に入ると、
米子城は池田由之に与えられますが、
由之は藩士神戸平兵衛に殺害されてしまい、
嫡男の池田由成が米子城主に就任。
由成は父母の供養の為に海禅寺を創建し、
その供養塔を建立しています。
後に海禅寺は禅源寺と改められて、
宝永7年(1710)博労町に移転し了春寺に改称。
亀島には荒尾但馬家家臣の村河家が、
江尾から清洞寺を移転させており、
その菩提寺となっていましたが、
明治維新後に廃寺となってしまいました。


「清洞寺跡」。
現在の亀島は埋め立てで陸地となっており、
大岩や松が残るのみとなっていますが、
加藤光泰や池田由之の供養塔は残され、
現在も同地に置かれています。


「加藤光泰供養塔(右)」、
「即心院(万姫)供養塔(中央)」、
「池田由之供養塔(左)」。
加藤光泰の供養塔、
池田由之正室万姫の供養塔、
池田由之の供養塔。
加藤光泰は豊臣秀吉に仕えた大名で、
山崎の戦いや賤ヶ岳の戦い、
小牧長久手の戦いで戦功を挙げており、
24万石の大名になっていましたが、
文禄の役の陣中で病死しています。
その長男加藤貞泰は関ケ原で東軍として戦い、
後に米子藩6万石に移されていますが、
その際に美濃国黒野より曹渓院を移転させ、
この供養塔を建立しています。
※曹渓院は後に伊予国大洲に移転。
加藤家が大洲藩に移封されると、
米子は鳥取藩池田家領となりますが、
米子城には藩主一門の池田由之が入り、
藩主池田光政を補佐しました。
しかし由之は藩士の逆恨みで殺害され、
※藩士神戸平兵衛が国許への帰還を訴え、
 これを聞いた家老の由之は、
 交代が來る迄待つようにと命じますが、
 神戸は藩主帰還の行列に紛れていた為、
 その事を咎めた由之を逆上して刺殺。
 神戸はその罪で死罪となっています。

嫡男池田由成がその跡を継いでいます。
曹渓院跡の亀島には海禅寺が創建され、
由成は亡き父母の供養塔を建立。
後に池田光政は岡山藩に移封されており、
池田由成も天城に転じていますが、
海禅寺は領主となった荒尾但馬家により、
臨済宗から黄檗宗に改宗され、
禅源寺を経て了春寺に寺号を改めて、
博労町に移転しました。
その跡地には清洞寺が移転していますが、
維新後に廃寺となっており、
現在のように島は埋め立てられて公園化。
これらの供養塔と大岩や松が、
その面影を残しています。

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