加藤家」タグアーカイブ

佐賀県多久市 圓通寺/多久家墓所

圓通寺鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領千石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
 佐賀藩御親類同格
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福岡県福岡市 節信寺/加藤司書墓所

福岡藩の尊攘派家老加藤司書は、
有事の際の藩主避難所の建設を提案。
福岡藩主黒田長溥もこれを承諾して、
犬鳴御別館の建設が開始されます。
しかしこれは尊攘派が実権を握る為、
長溥を幽閉する施設であるとして、
藩内佐幕派が注進した為に長溥は激怒。
乙丑の獄が発生して尊攘派は捕縛され、
首領格の司書や月形洗蔵を始め、
関係者140名以上が捕縛された末、
司書は… 続きを読む

愛媛県大洲市 加藤泰儔墓所

新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山


新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。

山道を少し登ると墓所に到着

従五位下加藤誠翁
 前山城守藤原泰儔墓
(右)」、
「… 続きを読む

愛媛県大洲市 大恩寺/新谷藩加藤家墓所

大恩寺は大洲市新谷にある臨済宗の寺院で、
新谷藩初代藩主加藤直泰の開基です。
直泰の正室専称院が葬られており、
後に3~5代の墓所となりました。


大恩寺」。
妻入造山門は閉ざされていますが、
脇扉を開けて入れます。… 続きを読む

愛媛県大洲市 法眼寺/新谷藩加藤家墓所

法眼寺は新谷藩初代藩主加藤直泰が、
実母の菩提を弔う為に創建されました。


法眼寺」。
法眼寺は大洲の法眼院の末寺として、
※直泰の実母である法眼院は、
 大洲藩2代加藤泰興の母でもあります。

新谷藩加藤家の庇護を受けて隆盛。
初代と6代の墓所も建てられました。

法眼寺の墓地は本堂裏手。
山の斜面に墓が並んでいますが、
何故か殆どの墓碑が南側を向いており、
麓を背にして建っています。… 続きを読む