加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将で、
賤ヶ岳七本槍のひとり。
所願成就の神として信仰されており、
現在もよく知られる武将。
朝鮮出兵での虎退治の逸話や、
築城の名手としても知られています。
清正は慶長16年(1611)の京都からの帰路、
船中で突然死去(脳溢血とされる)しました。
「… 続きを読む
「加藤家」タグアーカイブ
愛媛県大洲市 如法寺/大洲藩加藤家墓所
如法寺は大洲市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
大洲藩2代藩主加藤泰興によって再建され、
大洲藩加藤家の菩提寺となりました。
元々如法寺は喜多郡領主宇都宮氏が創建し、
その後に廃寺となっていたようです。
「仏殿」。
寛文10年(1670)建立の仏殿… 続きを読む
愛媛県大洲市 曹渓院/大洲藩加藤家墓所
曹渓院は大洲市の臨済宗妙心寺派寺院。
初代藩主加藤貞泰により、
父加藤光泰の菩提を弔う為に、
美濃国黒野に創建した寺院でしたが、
大洲藩移封に伴い現地に移っています。
「曹渓院」。
ここに加藤光泰の霊廟の他、
初代、6代、8代、10代、11代、… 続きを読む
佐賀県多久市 圓通寺/多久家墓所
圓通寺は鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領1000石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
佐賀藩御親類同格… 続きを読む
福岡県福岡市 節信寺/加藤司書墓所
福岡藩の尊攘派家老加藤司書は、
有事の際の藩主避難所の建設を提案。
福岡藩主黒田長溥もこれを承諾して、
犬鳴御別館の建設が開始されます。
しかしこれは尊攘派が実権を握る為、
長溥を幽閉する施設であるとして、
藩内佐幕派が注進した為に長溥は激怒。
乙丑の獄が発生して尊攘派は捕縛され、
首領格の司書や月形洗蔵を始め、
関係者140名以上が捕縛された末、
司書は… 続きを読む
愛媛県大洲市 加藤泰儔墓所
新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山。
新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川に鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。
山道を少し登ると墓所に到着
「従五位下加藤誠翁
前山城守藤原泰儔墓(右)」、
「… 続きを読む
愛媛県大洲市 大恩寺/新谷藩加藤家墓所
大恩寺は大洲市新谷にある臨済宗の寺院で、
新谷藩初代藩主加藤直泰の開基です。
直泰の正室専称院が葬られており、
後に3~5代の墓所となりました。
「大恩寺」。
妻入造の山門は閉ざされていますが、
脇扉を開けて入れます。… 続きを読む