新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山。
新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川に鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。
山道を少し登ると墓所に到着
「従五位下加藤誠翁
前山城守藤原泰儔墓(右)」、
「… 続きを読む
愛媛県大洲市 加藤泰儔墓所
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新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山。
新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川に鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。
山道を少し登ると墓所に到着
「従五位下加藤誠翁
前山城守藤原泰儔墓(右)」、
「… 続きを読む
大恩寺は大洲市新谷にある臨済宗の寺院で、
新谷藩初代藩主加藤直泰の開基です。
直泰の正室専称院が葬られており、
後に3~5代の墓所となりました。
「大恩寺」。
妻入造の山門は閉ざされていますが、
脇扉を開けて入れます。… 続きを読む
法眼寺は新谷藩初代藩主加藤直泰が、
実母の菩提を弔う為に創建されました。
「法眼寺」。
法眼寺は大洲の法眼院の末寺として、
※直泰の実母である法眼院は、
大洲藩2代加藤泰興の母でもあります。
新谷藩加藤家の庇護を受けて隆盛。
初代と6代の墓所も建てられました。
法眼寺の墓地は本堂裏手。
山の斜面に墓が並んでいますが、
何故か殆どの墓碑が南側を向いており、
麓を背にして建っています。… 続きを読む
新谷藩は大洲藩の支藩で、
大洲藩2代加藤泰興の弟加藤直泰が、
1万石を分知されて成立した藩です。
大洲藩初代加藤貞泰が世嗣を定めず死去し、
幕命により長男泰興が後継とされましたが、
次男の直泰はこれを不服として対立。
幕府の仲裁で泰興より1万石が分知され、
新谷藩が立藩する事となりました。
「… 続きを読む